東京「舟通勤」は本当に流行るのか? 10月定期運行スタート、電車・バスより時間かかるデメリットを逆手にとれるか
10月から定期運行開始
東京で舟運(しゅううん)復活の機運が高まっている。2016年以降、東京都は舟運を新たな交通手段として用いる取り組みを実施してきた。
そしてこのたび、2023年10月から日本橋~豊洲間で初の定期運行が始まることになったのである。現在発表されている情報では、この航路に続き、2024年春からは晴海~日の出間での運行も決まっている。現在は観光のためと見られているが、再び実用的な交通手段となるのだろうか。
今回の新航路は、2023年4月に東京都が補助金制度を創設し、事業者を公募して実現にいたった。東京都都市整備局交通企画課によれば、2航路を開設した後の拡充は未定だという。また日本橋~豊洲間は途中にも幾つかの船着き場が設置されているが、今のところは
「途中の船着き場に寄る予定はない」
という。
東京は、多くの河川や海に面した土地を持つ街である。そのため舟運は、人や貨物の輸送に広く用いられる手段だった。江戸期に始まった、千石船や小型帆船を使った舟運は戦後もしばらく続いた。道路や鉄道が発達していなかった当時、現在よりも多くの河川があった東京では、舟運ほど適した輸送手段はなかった。
とりわけ、明治になると交通手段としての価値は高まった。最初に隅田川に蒸気船が現れたのは1885(明治18)年だった(浅草~両国間)。これが発展し、現在の東京都観光汽船(東京都台東区)の前身である隅田川汽船会社が設立された。1898年のことである。
今でこそ“観光の足”として多く利用されるこの航路は、当初は「一銭蒸気」と呼ばれていた。現在の「水上バス」は浜離宮、豊洲から浅草まで隅田川沿いを無停車で走っているが、かつてはその間にある
・永代橋(東岸)
・両国橋(西岸)
・両国駅(東岸)
・蔵前橋(西岸)
などの船着き場に停車していた。現在と異なりジグザグに航路が設定されているのは、当時は隅田川に橋が少なく、両岸を移動する際の利便性が考慮されていたためだ。
現在、浜離宮の船着き場を利用する際には入園料が必要だ。しかし、かつては築地市場側に東銀座という船着き場があった。このことから、観光だけでなく実用性が重視されていたことがわかる。
この蒸気船は1945(昭和20)年3月の東京大空襲ですべての船が消失したことでいったん休止、1950年に「東京水上バス」として復活している。「水上バス」の名称を用いるようになったのは、このときからだ。