津軽海峡フェリー復活、「室蘭~青森」の決め手となる需要は何か? 苦汁の過去も2024年問題で追い風か

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「2024年問題」を背景に、北海道の室蘭港と青森県の青森港を結ぶフェリー航路が10月2日に復活した。2022年1月、室蘭港と青森県八戸港を結ぶフェリーが運休し、定期航路は消滅していた。

需要喚起の決め手は何か

室蘭港(画像:写真AC)
室蘭港(画像:写真AC)

 室蘭港は1872(明治5)年に開港し、鉄鋼業を背景に長らく北海道を代表する港であった。しかし、1963(昭和38)年に苫小牧港(西港)が完成するとその地位は低下し、1975年には年間貨物取扱量でトップの座を明け渡した。

 その後も両港のフェリー航路争いは続いたが、苫小牧港(東港)に新日本海フェリーが就航(苫小牧~秋田・新潟航路は1999年に就航)したことが、苫小牧港の勝利の決め手となった。これをきっかけに、室蘭港から雪崩を打つようにフェリーが消滅した。札幌に近い苫小牧港のほうが貨物輸送に有利であることは明らかだった。

 苫小牧港には地の利で勝てないからフェリーは無理というのが、室蘭市民の共通認識となった。それでもフェリー航路復活の意志は存続し続け、2008年に最後の航路となった室蘭~青森航路が消滅した後も、新たなフェリー航路の誘致は続いた。

 しかし、いくら復活の意志があっても需要の確保が難しいことは、室蘭~八戸航路の失敗を見ても明らかである。それに、新路線開設の際に言及された道央圏の需要や、苫小牧で乗船できなかったドライバーを呼び込もうという試みは、室蘭~八戸線開設時にも言及されている。

 特に道央圏の顧客開拓については、1990年代に大洗(茨城県)間で苫小牧と競合した際にも言及されている。室蘭~八戸航路が運航されていた時期には、生牛や廃棄物の輸送による需要創出は実施されたが、採算ラインには届かなかった。
 
 こうなると不安要素ばかりに見える室蘭〜青森航路だが、津軽海峡フェリーには勝算があるようだ。同社は1972年に道南自動車フェリーとして設立され、函館〜青森に就航。当初はトラック専用のフェリーであった。その後、2000年には旅客にも参入、以来観光目的の利用が増えているが、貨物需要は手堅い。函館〜青森航路ではコロナ禍でも減便すれば、道内のコンビニからモノがなくなるとして、減便をしなかったほどだ。そんな航路を通じた道内の物流に通じた同社が就航を決めたことに対する期待は大きい。

 かつて多くのフェリーが就航していた室蘭では、港の規模も大きく新規就航を受け入れる余地が十分にある。いま、海運が見直される中で、今度は苫小牧と競争ではなく共存にまで持ち込むことは可能なはずだ。就航を契機に、室蘭港を利用した物流網を構築できれば、勝算は十分にあるだろう。

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