駅で食べる「立ち食いそば」は、なぜあんなにうまいのか? 関東vs関西、知られざる“つゆ”の歴史を探る【短期連載】令和立ち食いそばビジネス考(4)

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「駅で食べる立ち食いそばは、なぜあんなにもうまいのか?」という素朴な疑問を、定性的(数値化できない要素)な目線、定量的(数値化できる要素)な目線、経済的な目線から解き明かしていく。

関東のつゆのベースとなるかつお節は南海路で江戸へ

駅で食べる立ち食いそばのイメージ(画像:写真AC)
駅で食べる立ち食いそばのイメージ(画像:写真AC)

 かつお節も、昆布に負けず劣らず歴史のある食材だが、現在使用しているようなかつお節が登場したのは江戸時代になってからとのことである。

 現代のかつお節は、いぶして乾燥させたのち、カビを付けては乾燥させてを繰り返す燻乾(くんかん)法で作られている。江戸時代に燻乾法に近い方法で作られたかつお節を土佐節といい、現在の高知で産声をあげて以降、和歌山や鹿児島、そして静岡や千葉に製法が伝わっていった。

 かつお節からとったつゆには、格別の味や香りがある。食文化が発達した今でも、かつお節に匹敵するような食材は見当たらないかもしれない。誰が思いついたのかは知らないが、カビを付けて乾燥させるという方法を編み出した人物に、ノーベル賞を贈りたくなるくらいだ。もちろん、当時の筆者たちの祖先が、かつお節をベースとしたつゆにメロメロになったのは想像に難くない。

 また、燻乾法で作られたかつお節は、長期保存ができるという何よりもの利点があり、物流に日数を要していたその昔であっても、一大消費地である江戸に、そして日本各地に運ばれて広く普及した。

 江戸時代において、大阪と江戸を結ぶ物流のメインルートといえば、太平洋を通る南海路だ。土佐、紀州、枕崎といった太平洋岸で生産されたかつお節は、昆布とは反対方向にかつ太平洋を使って江戸に旅をすることとなった。

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