駅で食べる「立ち食いそば」は、なぜあんなにうまいのか? 関東vs関西、知られざる“つゆ”の歴史を探る【短期連載】令和立ち食いそばビジネス考(4)

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「駅で食べる立ち食いそばは、なぜあんなにもうまいのか?」という素朴な疑問を、定性的(数値化できない要素)な目線、定量的(数値化できる要素)な目線、経済的な目線から解き明かしていく。

関西のつゆのベースとなる昆布

2023年2月1日の海流図(画像:気象庁)
2023年2月1日の海流図(画像:気象庁)

 昆布の歴史は意外と古く、797(延暦16)年の続日本紀(しょくにほんぎ)に昆布についての記述があり、昆布が蝦夷(えみし)から平城京に献上されたとある。平安時代には、昆布は陸奥国の特産品として京の都へと運ばれ、鎌倉時代になると、蝦夷地の開発やアイヌとの交易により昆布の流通が盛んになったという。

 いずれの時代も、昆布は日本海ルートを通って、敦賀や小浜で陸揚げして関西へ運ばれてきた。室町時代に入ると昆布の消費量が拡大し、琵琶湖や淀川の水運を利用して多量に昆布が入ってくるようになった。さらに江戸時代になると、日本海から瀬戸内海を通る、いわゆる北前船により、昆布は関西へ運ばれた。

 ここで疑問がひとつ浮かんでくる。その昔は政治・経済の中心地であった関西に昆布が運ばれてきたのは理解できるが、なぜ日本海なのだろうか。

 ひとつ目の理由は、海流にのると北海道までたどり着ける対馬海流の存在が大きい。もちろん、昆布を載せて関西に向かうときは、手でこぐか風力で移動せざるを得ないが、現代のような動力を持たない当時としては、片道だけでも海流の恩恵にあずかれるのは大きなメリットだろう。瀬戸内海も、潮の流れや風を利用して移動しており、牛窓、鞆の浦、御手洗といった風待ち潮待ちの港が活況を呈していた。

 そして二つ目の理由は、日本海と太平洋を比較した場合、日本海のほうが穏やかな点にある。日本海と聞くと荒波のイメージがあるが、それでも太平洋よりはるかに穏やかなのだ。

 ここで、2023年2月1日の海流図をみてみよう。矢印で流れの向き、色で流れの速さを表しており、日本海のほうが明らかに穏やかである。海流図などないはるか昔から、経験的に太平洋は危険なルートだったのだ。

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