昭和レトロな自販機の宝庫 「オートパーラー」はなぜ今でも残っているのか

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「オートパーラー」をご存じだろうか。日本語に訳せば、さしずめ「全自動飲食店」といったところだろうか。一般的には昭和40年代後半から昭和50年代にかけて増えたといわれている。

食品自販機の進化

食品自販機が並ぶ様子(画像:Merkmal編集部)
食品自販機が並ぶ様子(画像:Merkmal編集部)

 さて、昭和で時間が止まったような趣のあるオートパーラーだが、その中心である食品自販機が、平成に入ってから進化・普及したことは、いまでは忘れ去られている。

 契機となったのは、自販機内部で冷凍食品を解凍調理する、電子レンジ内蔵機種の登場だ。1991(平成3)年のことである。

 きっかけは、人件費やスペース確保の問題で、社員食堂を設置できない企業が増えていたことだった。ここに目を付けたのが、

・冷食メーカーのトップ企業「ニチレイ」
・自販機メーカー「富士電機冷機」(現・富士電機)
・自販機運営の「西武石油商事」(当時セゾングループ)

の3社で、初の機種は共同開発で誕生した。最初の設置は、赤羽にあった「EPO」(西友が展開していたファッションビル)の従業員休憩室だった。

 この後、冷凍食品大手である加ト吉(現・テーブルマーク)も自販機事業に乗り出し、食品自販機は1993年頃に活況を迎えている。

 各メーカーの当時の目的は人手不足の解決だった。いずれも

「コンビニから業態転換も可能」

として、無人の24時間販売をメリットとしてPRしている。『日刊工業新聞』1996年4月19日付の記事には、こう記されている。

「業界によると、過去3~4年間に4500台程度だった専用自販機は96年はやや調整に入ったあと、3年後には累計で1万台程度に達するものと見られている。業界では1万台の累計規模になれば「市場としてかなり認知される段階に入る」と判断されている」

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