世界最高性能だった日本の「自動織機」 豊田佐吉・津田米次郎という先駆者を再訪する

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明治期の優れた技術者だった津田米次郎と豊田佐吉。その歴史をたどる。

永久動態保存機に選定

津田駒工業のウェブサイト(画像:津田駒工業)
津田駒工業のウェブサイト(画像:津田駒工業)

 豊田式G型自働織機は量産機の完成とともに欧米の織物製品先進国へと輸出され、そこでも高い評価を得た。特に英国の織機製造の名門でもあったプラット&ブラザース社はG型自働織機の完成度の高さに感銘を受け、構造パテントの使用権を申し込むに至った。

 その後も豊田式自働織機の進化は止まることなく、戦後日本の躍進を支える重要な産業の担い手となったのである。

 なお、豊田式G型自動織機は日本が誇る機械遺産のみに止まらず、産業革命発祥の地英国にあるロンドン科学博物館においても織機におけるエポックメイキングなモデルとして永久動態保存機に選定されている。

 一方、豊田佐吉はその後もさらなる理想的な織機の研究には余念がなく、昭和初年には従来型とは全く構造も理論も異なる豊田式環状自働織機を完成させるに至る。

 環状自働織機は1906(明治39)年に佐吉が基本構造を考案していた画期的な織機であり、従来は往復運動だった杼を連続した回転運動とすることで、環状の布を高速かつ静かに織り上げる構造となっていた。環状自働織機は諸般の理由から量産化には至らなかったが、その独特のたたずまいは名古屋市のトヨタ産業技術記念館で実機を見ることができる。

 なお津田米次郎と駒次郎の織機工場は1909年に津田駒次郎工場として本格始動を開始、法人化した津田駒次郎会社を経て1939(昭和14年)には津田駒工業へと社名を変更、会社はさらに大きくなった。

 以来、豊田自動織機と津田駒工業は日本のみに止まらず、現代においても世界を代表する織機メーカーとしてともに名を連ねる存在である。

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