新幹線はなぜ「沼津駅」に停車しないのか? 三島より大きな都市にもかかわらず、という謎
分散した県東部の拠点

このような「神話」が生まれたのは、新幹線三島駅設置後に原因がある。
もともと、沼津市は県東部の観光拠点であり、戦後には工業化も進んだ。ところが、新幹線三島駅の開業後は変化が起きた。県東部の拠点が沼津市、三島市に
「分散した」
のである。とりわけ企業の支店は双方の市に散り、どこが拠点なのか判然としなくなった。
沼津市と三島市は市街地が連続しており、両市の一体性は高い。「沼津都市圏」として見た場合、三島市は当然含まれる。一方、令制国(律令(りつりょう)制に基づいて設置された日本の地方行政区分)で見た場合、
・沼津市:駿河国
・三島市:伊豆国
となる。江戸時代、沼津市は沼津藩の城下町であり、三島市は天領だった。さらに、三島市は古代には伊豆国の国府(国ごとに設置された地方行政の府)が置かれた土地で、沼津市より歴史は古い。
ゆえに、両市は静岡県東部の中心都市はどちらかをめぐって対立してきた。新幹線駅については、地域に駅ができることを優先するために三島市に譲ったものの、対立が解消されたわけではなかった。
沼津市の視点に立てば、県の出先機関などが設置されているにもかかわらず、新幹線駅のある三島市のほうが発展していく様子は許しがたかった。このことが、新幹線にまつわる「神話」を生み出した理由なのは間違いないだろう。
もちろん、両市はわだかまりを捨てて合併を検討したこともある。
1999(平成11)年には、東部の市町が合併し、政令指定都市を目指す「静岡県東部政令指定都市構想」が持ち上がり、研究会が設置されている。しかし、これもまとまらなかった。同構想をもとに「平成の大合併」(2005~2006年にかけてピークを迎えた市町村合併の動き)の時期には、具体的な合併案も検討された。しかし、三市三町(沼津、三島、裾野、函南、長泉、清水)での合併を勧める沼津市に三島市は乗らなかった。
三島市では、当時の伊豆六市六町による「大伊豆市」構想が指示されていた。そして、市民の多くはそもそも合併せずに単独市制の維持を支持していた。結果、前述の研究会も成果を挙げることをできないまま、2008年に解散している。斎藤市長の「沼津市民が反対したために新幹線駅はできなかった」発言のわずか2年後のことだった。
路線があるにもかかわらず、さまざまな理由で新幹線駅ができなかった地域は各地にある。しかし、こんな奇妙な「神話」が生まれているのは、沼津市以外聞いたことがない。