B-29爆撃機が執拗に「多摩エリア」を狙いつくした理由

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B-29爆撃機は1944年11月、最初の攻撃対象として現在の東京都武蔵野市を選んだ。その後も多摩地域を執拗(しつよう)な空襲で襲った。いったいなぜか。

「空都」としての多摩

鈴木芳行『首都防空網と〈空都〉多摩』(画像:吉川弘文館)
鈴木芳行『首都防空網と〈空都〉多摩』(画像:吉川弘文館)

 立川を去った米軍は横田基地に集約されたが、その横田基地はもともとは多摩飛行場と呼ばれていた。

 横田基地は拡張されて3000m以上の滑走路を持つ基地となり、米軍の東アジア・西太平洋軍事作戦の指揮と空輸の拠点となっている。

 調布飛行場の西側には、1946(昭和21)年から占領軍によって調布水耕農場が設けられた。これは日本の人糞尿を用いる農法を拒否した占領軍が、化学肥料の溶液と温室による新鮮野菜をつくることを目的としたもので、ここから野菜が全国の米軍基地に供給された。

 東京オリンピックに際して、ワシントン・ハイツと呼ばれていた代々木の米軍兵舎と住宅がここに移ってくることになり関東村住宅と呼ばれるようになった。その後返還され、東京外語大学や警察大学校、味の素スタジアムなどがつくられている。そして、返還された飛行場は東京と伊豆諸島などを結ぶ路線に使われている。

 このように、本書は「空都」としての多摩の姿を掘り起こすとともに、多摩の歴史やその後の多摩の姿も教えてくれる内容になっている。本書を読んでから、改めて多摩にある「空都」の痕跡を訪ねてみるのも面白いかもしれない。

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