静岡の謎! 熱海駅すぐ近くの「三島駅」に新幹線がわざわざ停車する理由
陳情を全て拒否した国鉄
では、なぜ三島駅が実現したかといえば、地元の熱意に加えて地縁・血縁が幸いしたためである。
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確かに地元の熱意は、強かった。三島市と隣接する沼津市では、東海道新幹線の建設時から新幹線駅を求める声が止まなかった。静岡県には、既に新幹線駅が
・熱海駅
・静岡駅
・浜松駅
と三つ存在していた。静岡市(県中部)と浜松市(県西部)は駅があるのに、伊豆地方の駅は熱海駅だけというのは、三島・沼津の両市にとって不満しかなかった。
そこで、信号所が設置されたことを契機として、両市は一体となって「新幹線三島停車促進期成同盟会」を結成し、新幹線を三島市に止める運動を始めた。
陳情は数十回にも及んだが、国鉄は頑として受け付けなかった。理由は熱海駅があることと、もし三島駅に新幹線が停車すれば
「5分の遅れ」
が生じるからである。
ここで幸運だったのが、地縁・血縁の存在である。当時の国鉄総裁・石田礼介は伊豆の松崎町出身だった。さらに、三島駅を求めて活動していた駿河銀行(現・スルガ銀行)の頭取だった岡野豪夫と石田は縁続きだった。加えて、山田(熱海市出身)が運輸次官をやっていたために知る人は多かったのである。
地縁・血縁の強さ
地元との熱意に加えて、地縁・血縁は三島駅の誕生にどう作用したのか。前述の山田の著書には、こう書かれている。
「勿論、そんなことで決まるわけでもないが、何となく気心が解るので、交渉し易かった」
同じく前述の斎藤の著書には石田が
「山田代議士の根気には参ったよ」
と語ったことが記されている。つまり、地元の熱意と地縁・血縁、それを背景とした、地元出身政治家の交渉力、これらがうまく合致した幸運が三島駅の誕生を決定的づけたといえる。
こうして、三島駅は開業に至った。三島駅の誕生には、単に熱海駅が狭いからでは終わらない、複雑な理由があったのである。