アメリカ流「戦争方法」とは? 物資投入とロジスティクスの力がもたらす戦略的優位性をご存じか
ローマの技術力とロジスティクス能力
同時に、こうしたローマの慣習(エートス)は優れた技術力とロジスティクス能力に支えられていた。
・今日まで残るさまざまな建造物の基礎となったローマ・コンクリート(コロッセオやパンテオン神殿)
・地形を巧みに利用した建築工学(その代表例が水道橋であるが、水の供給は人々の生活や戦いに不可欠)
・当時の最先端技術を駆使した道路網(ローマ街道)の整備
である。
いうまでもなく、舗装されたローマ街道は、大規模な軍隊や大量の軍事物資を戦場まで移送するための重要な手段であったのである。
「ビザンツ流の戦争方法」と「イギリス流の戦争方法」

こうした「ローマ流の戦争方法」とは対極に位置し、リデルハートが同時代のイギリスの国家戦略への類比としてしばしば参考にしたのが「ビザンツ流の戦争方法」という概念であった。
古代ローマ帝国が395年に東西に分裂した後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の生き残りを賭けたこの「戦い方」の最も顕著な特徴は、現状維持国としてあくまでも防勢に徹するとの基本方針であった。
そこでは、仮に他に適切な手段が存在するのであれば、可能な限り戦争を回避すると共に、いったん、戦争が発生すれば、最小限の兵力および資源で戦争の勝利を得ることこそ理想的な戦い方であるとされた。当然ながら、正義や道徳といった抽象的な価値の名の下で戦争を遂行することなど、絶対に許されない「ぜいたく」であった。
2009年に出版された『ビザンツ帝国の大戦略』、さらには自らの論考「大戦略を考える――ビザンツ帝国を中心に」でアメリカの国際政治学者エドワード・ルトワックは、たとえ同時代の人々が明確に認識していなかったとしても、全ての国家には大戦略――国家戦略――が存在すると主張した。そして、明示的に語られることはなかったにせよ、疑いなくビザンツ帝国にはある種の大戦略が存在しており、ルトワックはそれを「オペレーショナル・コード」と呼ぶ。彼によれば、ビザンツ帝国の「オペレーショナル・コード」は以下のようにまとめられる。
1.全ての考え得る状況において、可能な限りの方策を用いて戦争を回避する。しかし常に、いつ何時(なんどき)戦争が開始しても良いように行動する。
2.敵とその考え方に関する情報を集め、継続的に敵の動きを監視する。
3.攻勢と防勢の双方で精力的に軍事行動を実施するが、多くの場合は小規模な部隊で攻撃し、総攻撃よりも斥候、襲撃、および小規模な戦闘に重点を置く。
4.消耗戦争は「非戦闘(nonbattle)」の機動に置き換える。
5.全般的な勢力均衡を変えるために同盟国を求め、戦争を首尾よく終結できるよう目指す。
6.敵の政府の転覆は、勝利への最善の道である。
7.外交や政府の転覆が十分でなく、戦争を行わなければならない場合、戦争は、敵の最も顕著な強みを引き出させず、敵の弱みを突いた「相関的[合理的](relational)」な作戦と戦術を用いるべきである。
以上から、ビザンツ帝国のインテリジェンス(情報)重視とロジスティクス重視をうかがい知ることができよう。なお、ビザンツ帝国に限らず、広大な「帝国」を維持するためのインテリジェンスとロジスティクスの重視は、いつの時代にも共通する特徴である。
そして、こうした戦争方法を用いることでビザンツ帝国は、西ローマ帝国が476年に崩壊した後も約1000年もの間(ビザンツ帝国の終焉(しゅうえん)は1453年)、その繁栄を享受できたのである。