アメリカ流「戦争方法」とは? 物資投入とロジスティクスの力がもたらす戦略的優位性をご存じか

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アメリカ軍の戦い方は、人的犠牲を最小限にとどめるために大量の物資を投入して戦争の勝利を追求するとの基本方針で一貫している。

「ローマ流の戦争方法」から「ビザンツ流の戦争方法」へ

ホメロス『イリアス』(画像:岩波書店)
ホメロス『イリアス』(画像:岩波書店)

 こうした事例として直ちに「ローマ流の戦争方法」が思い浮かぶであろうが、古代ローマ(帝国)の戦争文化は古代ギリシアの影響を強く受けているため、最初に古代ギリシアの戦争方法について概観しておこう。

 古代ギリシアの戦争文化を形成する上で最も大きな原動力となったのは、ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』に代表される叙事詩の伝統であったとされる(なお、トロイ戦争【紀元前1700~1200年頃のどこか10年間】では、ギリシア連合軍の優れたロジスティクス能力が示された)。

 こうした叙事詩のなかでは、戦争を通じて示される兵士の勇気は最も崇高な美徳であると考えられた。ギリシアの繁栄を支えた主たる軍事力は、高い規律を維持する密集した重装歩兵部隊「ファランクス」であったが、この「ファランクス」の戦いでは、軍紀はもとより、個々の兵士が示す勇気や闘争精神といった要素こそが勝利を約束する要件であった。

 そして、こうした古代ギリシアの伝統を継承したのが古代ローマであった。イタリアの政治哲学者ニコロ・マキャヴェリは、ローマ市民軍の軍紀の厳格さと窮乏を耐え抜くために彼らが示した驚くべき献身性、軍事的栄光に対するローマ社会の強い衝動と渇望、そして、帝国主義的な征服を通じてのみ満たされ得るローマの領土獲得欲について、鋭く考察している。

 周知のように、古代ローマの指導者は、戦場で自らの勇気を証明するか、あるいは司令官として戦果を挙げることを通じてのみ、政治的に昇進するために必要とされる栄光と名声を獲得することができた。当然ながら、対外政策を決定する立場にある指導者は、国家を常に戦争状態に置く傾向が強くなり、また、そうすることによって初めて、自らの勇気という美徳を示す機会を得ることができたのである。

 事実、3次にわたるカルタゴとのポエニ戦争(紀元前264~146年)において、軍紀、名誉、献身性などを特徴とする古代ローマの戦争文化が、同国の勝利のために重要な役割を果たした(第2次ポエニ戦争で活躍したのがアルプス越えで知られるハンニバルであるが、彼の戦いはロジスティクスをめぐるものであったとしても過言でない)。

 また、ローマで実践された「10分の1処刑」という刑罰ほど、残忍さと復讐(ふくしゅう)心の強さに象徴される「ローマ流の戦争方法」の特異性を示す事例はないであろう。すなわち、戦場で不名誉な敗北を喫した部隊に対して指導者から「10分の1処刑」の命令が下ると、ローマ軍の司令官は、部隊全体から10人にひとりの割合で「くじ引き」で犠牲者を抽出して処刑を実施したのである。さらに残忍なことには、実際にこの処刑を執行したのは抽選で外れた同じ部隊の兵士であったという。

 だが、このような社会制度を用いながらも古代ローマは、市民兵を基礎とする強大な戦士国家の構築に成功した。いったん、戦争に参加すれば、ローマの兵士は最後まで戦い抜くことが求められた。その結果、ローマはいかなる負担を耐え忍び、いかなる犠牲を払うことをいとわない真の戦士国家へと発展したのである。

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