札幌駅からバスでわずか30分! 防衛省管理の「丘珠空港」、利用客6割増の利便性をご存じか
丘珠空港の2022年度の空港利用客が、前年度比63.7%増となった。コロナ禍で落ち込んだ観光の需要回復に加えて、座席数の多い機材に更新したことなどがその理由という。
1990年、航空ビル会社が発足
1963(昭和38)年、北日本航空が丘珠~八戸~東京の運航を開始し、翌年、北日本など三社合併で生まれた日本国内航空が丘珠~秋田~新潟と、丘珠~帯広を運航。さらに1965年、丘珠~東京を運航した。翌年、全日本空輸が丘珠~仙台を運航した。
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1967年、滑走路がそれまでの1000mから1400mに延長された。1970年、全日本空輸が丘珠~新潟を運航した。1972年、全日本空輸の定期便が千歳に移転するが、2年後の1974年に日本近距離航空が丘珠~稚内~利尻、さらに丘珠~函館~奥尻、丘珠~紋別、丘珠~中標津の4路線の運航を開始した。この年の利用客は70万3545人に達した。
その後、滑走路方位変更を始め、
・超短波全方向式無線標識施設
・距離測定装置
・進入角指示灯
などが設置された。日本近距離航空がエアーニッポンと改称して、丘珠~釧路を飛んだ1990年(平成2)に、航空ビル会社が発足。間もなくターミナルビルが供用開始された。
1994年、搭乗者100万人突破
地方空港としての体制が整った1994年、ターミナルビル開業後搭乗者が100万人を突破した。それから5年、エアーニッポンが丘珠~女満別の運航を開始。その翌年の2000年、ターミナルビル創立10周年を迎えて、開業後搭乗者が300万人に達した。空港は喜びに沸き立った。
エアーニッポンが6路線の運航を相次いで開始し、日本エアシステムが2路線を増やした。2004年、滑走路が100m延長されて1500mになった。同時に駐機場や駐車場の拡張も進んだ。