新幹線「函館駅乗り入れ」はなぜ有権者の支持を集めたのか? その背景にあった、裏切られ続けた自治体蹂躙の過去
函館市長選で「新幹線乗り入れ」という公約はなぜ有権者の支持を集めたのか。その背景には新幹線に期待しつつも裏切られてきた函館の歴史がある。
北海道vs函館市
しかし、これはあくまで地元自治体の足並みが乱れを理由に計画が遅れることを防ぐためのもので、停車駅をめぐる攻防は続いた。
1994(平成6)年7月には、函館市議会が「当面、停車駅は現函館駅」を決議、当時の横路孝弘知事が
「道新幹線の早期実現を図る観点から遺憾といわざるを得ない」
と、政府による計画決定を遠ざけることになると強く批判する事態も起こっている。
この決議の後、同年11月に堀達也副知事(当時)と会談した木戸浦隆一市長(当時)は、次のような条件を道に対して突きつけた。
・新幹線停車駅は渡島大野駅で譲歩する
・渡島大野駅から函館駅へ新幹線を乗り入れる
函館市の視点では、札幌まで路線ができる前提で譲歩しつつも新幹線駅を獲得するという戦略である。
この会談を『北海道新聞』1994年11月1日付朝刊では、こう報じている。
「会談では、市が短絡方式を要望していることに道が「一定の理解」を示すという玉虫色の決着でようやく両者が歩み寄った。国に示す「地元合意」を最優先した土壇場での決着」
両者は覚書を交わしたが、ここにボタンの掛け違えがあった。道としては地元合意を優先して「一定の理解」は示したとして明言を避けつつ、渡島大野駅を新幹線停車駅とすることを函館市に同意させたと考えた。対して、函館市としては譲歩する代わりに道が函館駅乗り入れを約束したと捉えた。