「水陸両用作戦」の真髄! 多様な任務に対応する圧倒的能力、それを支えるロジスティクス戦略とは
近現代の水陸両用作戦
だがその後、20世紀の第1次世界大戦に至るまでの期間に実施された水陸両用作戦の多くは、敵が防御陣地を構築して待ち構えている海岸に対してではなく、むしろ敵が存在しない地点を選んで作戦を実施している。
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実は、19世紀までには既に主要諸国の水陸両用作戦部隊および海軍にとって、敵前に部隊を強行上陸させること自体が技術的に困難になっていたのである。
だが、第1次世界大戦のガリポリや第2次世界大戦のノルマンディなどを経て1945年頃までには、機動力に富み、自己完結した水陸両用作戦部隊は、再び政治指導者に対して有用な軍事的選択肢を提供できるようになった。
実際、第2次世界大戦のイタリア戦線に限っても連合国軍は、シチリア島、サレルノ、アンツィオと大規模な水陸両用作戦を実施した。もちろんそれ以前にも、北アフリカでの「トーチ」作戦などを経験しており、こうした経験を踏まえた上で、さらに大規模なノルマンディ上陸作戦が実施されたのである。
そしてその後、水陸両用作戦は、
・朝鮮戦争(1950年)
・フォークランド戦争(1982年)
・湾岸戦争(1991年)
・イラク戦争(2003年)
などで積極的に用いられている。
ノルマンディ上陸作戦――水陸両用「強襲」
水陸両用作戦と聞くと、多くの読者は第2次世界大戦中の1944年6月に実施されたノルマンディ上陸作戦を思い浮かべるに違いない(映画「史上最大の作戦」「プライベート・ライアン」、テレビドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」)。
ノルマンディ上陸作戦の概要であるが、艦砲および航空部隊による砲爆撃で防御側の陣地を徹底的にたたいた後、沖合の輸送艦(船)から多数の上陸用舟艇に乗り移った上陸部隊が数波にわたって上陸し、砂浜に取り付いて海岸堡(ほ)あるいは橋頭堡を確保する。続いて、戦車や火砲に代表される重量の後続部隊と大量の補給物資を揚陸して、内陸に侵攻する、とのイメージである。
また、この上陸作戦ではパラシュートやグライダーを用いた空挺(エア・ボーン)部隊が上陸地点の両側面および背後に事前に降下し、敵のかく乱および重要地点の確保を目的として攻撃を実施したが、今日ではこうした任務はヘリ・ボーン部隊で実施されることが多い。
こうした作戦で海軍の活躍を忘れてはならない。イギリスの五つの港を出港した上陸部隊を載せた艦船は、同国のワイト島の沖合の「ピカデリー・サーカス」で集結し、そこからノルマンディへと向かったのであるが、これには、上陸部隊を誘導するため潜水艦が先行した。
海上では機雷の除去作業のために掃海艇が活躍し、その後は艦砲射撃のための戦艦、巡洋艦、さらには駆逐艦が可能な限り沿岸へと近寄って砲撃を実施した。その後、上陸用舟艇が海面へと降ろされたが、当時はまだ自らが乗船した揚陸艦や輸送船から兵士はネットを伝って降りる必要があった。
こうして、大規模な上陸作戦が開始されたのである。上陸当初の一部の海岸では、例えば地雷除去を目的に特別に設計された戦車、「特殊戦車」なども活動した。だが、いわゆるDD戦車――歩兵支援用の水陸両用戦車――などは、予想以上に波が荒かったため、その多くが水没した。
15万もの兵士、そして武器や弾薬などをドイツ軍に気付かれないまま英仏海峡を輸送する任務は、まさにローマ神話の海の神にちなんで「ネプチューン」と命名された。用いられた海軍艦艇は約7000隻にも上ったという。
もちろん空軍(航空部隊)も大きな役割を果たした。例えば、上空からは約600機の爆撃機が上陸地点のドイツ軍防御陣地に対して空爆を実施した。こうして、上陸作戦の実施に際しては海軍艦艇による艦砲射撃による支援、さらには航空機による支援などが効果的に行われ、作戦の成功に大きく貢献したのである。
さらにノルマンディでは実際の上陸作戦の前に、入念な情報収集活動(航空写真など)、欺瞞(ぎまん)、陽動、航空部隊による鉄道や道路網および橋梁への攻撃(航空阻止)などが実施されているが、それ以上に重要なのが、こうした上陸作戦を支えるロジスティクスの役割である。