茨城の謎! 京成百貨店は“京成”なのになぜ「水戸市」にあるのか
水戸市にある京成百貨店。京成の冠が付いているのに、なぜ水戸にあるのか。資料をたどる。
京成百貨店の成り立ち
早速ネタ晴らしをしよう。ポツンと存在しているは、もともと京成百貨店が別系列のデパートであり、後に京成グループに入って店名を変えたからだ。
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ただ、そうすると新たな疑問が湧いてくる。なぜ、水戸市のデパートがわざわざ京成グループに入ったのかということである。地場のデパートが大手企業の傘下に入ったと聞いて、一般的に思い浮かぶのは「経営難」だ。しかし、京成百貨店の場合は違う。
現在の京成百貨店の前身は、1908(明治41)年に茨城県常陸太田市(当時は太田町)で開業した小間物商「島津商店」である。当時の常陸太田市は、水戸市とならぶ県内の商業都市で、創業者の島津孝之介はでっちから始めて店舗を持ち、商売を広げていった。
水戸市に進出したのは、戦後の1946(昭和21)年になってからである。当時の水戸市では、戦前からある伊勢甚が唯一のデパートだった。島津はその伊勢甚と同じ繁華街・泉町に、島津商店の支店である志満津百貨店を開業した。当時は、
・伊勢甚:大衆向けの商品
・志満津百貨店:高級品
を扱う店として認識されていた。
志満津百貨店の業績は好調で、1956年当時、茨交ストアしかなかった水戸駅前に分店も開店している。また、東京からデザイナーを招いてファッション相談会を開くなど、同店は水戸市に最先端の文化をもたらす拠点となっていった。