新横浜駅周辺は「西武王国」 鉄道乗り入れないのになぜ? その背後にあったどす黒い歴史とは
不動産ブローカーの告白

問題は、巧妙に隠蔽したはずの買い占め工作が、早い時期から発覚し、国会で取り上げられたことだった。しかし、国会で追及が続いていた時期に中地は海外へ出国、さらに1964(昭和39)年に堤康次郎が急死したこともあり、追求はうやむやになって終わった。
その後、行方の知れなかった中地は、1992(平成4)年に突如『朝日新聞』のインタビューに応じている。同年3月7日付東京版の夕刊という限られた地域で配られた紙面で、中地は
・戦前、鉄道省にいた自分が堤に話を持ち込んだ
・堤には利益の3割をもらう約束をしており、一部は受けとったものの堤の急死後は報酬がなかった
ことなどを語っている。
このインタビューで、中地はあくまで自分が話を持ち込み、資金提供を受けたと語っている。しかし、戦前に鉄道省にいたとはいえ、既に職を退いた人物が、なぜ
「公表されていない新幹線駅の情報」
を知ることできたのだろうか。
政治家も絡んだ一大疑獄

その理由を明らかにしたのは、2004(平成16)年に発表された七尾和晃のノンフィクション『堤義明 闇の帝国』(光文社)である。
詳細は省くが、中地は、戦前に大阪鉄道局の局長であった佐藤栄作(後に首相)の部下だったと書かれている。中地の役割は、堤と佐藤をつなぐパイプ役であり、両者の意向を受けて買い占め工作を実行する「工作員」だったというわけだ。
つまり、買い占め工作は一企業が利益を独占するために行ったものではなく、後に首相となる、官僚出身の政治家も絡んだ一大疑獄だったのだ。こうして土地を独占した企業の意のままに区画整理事業を進めたのが、当時の横浜市である。
いわば、新横浜駅周辺の住民は
「政官財の癒着」
によって振り回されてきた。横浜市の提示した南口の区画整理案が住民へ容易に受け入れられなかったのは当然なのだ。
そんな南口でも、今は再開発の計画が動き始めている。住民の心境はどのように変化していったのだろうか。それはまた、別の機会に書く。