新横浜駅周辺は「西武王国」 鉄道乗り入れないのになぜ? その背後にあったどす黒い歴史とは
西武鉄道は新横浜線に乗り入れていないにもかかわらず、新横浜駅周辺には新横浜プリンスホテル、新横浜ペペなど、西武系の施設が目立つ。いったいなぜか。
横浜市と西武鉄道の蜜月

新横浜駅周辺での区画整理は、最大の土地所有者である西武グループの意向に横浜市が沿う形で行われたのではないか――。
そのことをうかがわせるのが、前回の記事でも少し触れた『朝日新聞』1991年11月7日付朝刊の東京・神奈川版に掲載された「農地が残る南側(こちら新横浜 人工都市の素顔:2)」という連載だ。気になるのは、反対派の地権者でつくる地元団体(会員220世帯)は
「北側の開発は市が進める区画整理事業で行われたが、地権者は相当の土地を道路に供出させられた。換地された土地も細長くて単独では使いにくく、大手開発業者に売らざるえなかった」といい、「開発を条件に下水道も整備しないのはおかしい」と不満をあらわにする」
という部分だ。実際に、北口の区画整理事業は住民が市を訴える訴訟に発展している。1989(平成元)年に、住民は横浜市を相手取り
「22億6700万円」
の弁済を求めた。
区画整理の公共減歩(区画整理の際に道路や公園などに必要な部分の土地を地権者の所有地から削ること)で生じた土地を、横浜市が西武グループと交換したことを、住民は
「公共減歩の趣旨に反する」
とした。
このとき、問題となったのは、現在新横浜プリンスホテルが立地している土地である。当時、横浜市はホテルの建設用地を確保するために、現在の区画の真ん中当たりを突っ切っていた市道を廃止し、土地交換を行っていたのである。