鉄道ではかつて堂々とタバコが吸えていた! 駅と車内、禁煙の歴史をたどる

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2003年5月の健康増進法施行から20年。禁煙の流れと、受動喫煙防止への取り組みは着実に広がってきた。昭和から平成・令和へと、鉄道とたばこの歴史を振り返ってみよう。

当初は自由席主体

寝台の使用中は禁煙となるため、通路の窓辺に灰皿が設置された(画像:広岡祐)
寝台の使用中は禁煙となるため、通路の窓辺に灰皿が設置された(画像:広岡祐)

 禁煙席と禁煙車は新幹線から在来線の特急や急行にも広がってゆく。翌1981年、在来線のテストケースとして、上野~新潟間の特急ときの12号車に、初めて禁煙車が設けられた。

 禁煙車の設定は当初は自由席主体で、指定席やグリーン車に登場するのは1980年代半ばのことである。1984(昭和59)年夏のダイヤ改正で、新幹線と在来線特急・急行の26%が禁煙となった。この時期の国内航空路線の禁煙席は25~35%ほどである。

 東京近郊区間、中距離を走る列車にも窓辺に灰皿がついていた。特急や急行列車以外でも乗客はたばこを吸えたわけだが、ラッシュ時には満員状態になる都心部から70~80km程度の区間は禁煙となっていた。この区間はのちに延長され、東北本線では大宮から小山、高崎線では大宮から熊谷、常磐線では取手から土浦までが禁煙となった。

 ちなみに区間や時間を限定した禁煙車は、地方でも設定されている。こちらは嫌煙をめぐる取り組みというより、もっぱら非行防止の側面が強かったようだ。学校帰りの時間帯に窓のブラインドを下ろし、ガラガラの車内で仲間とたばこを吸う高校生たちを、旅先で何度も目にした記憶がある。

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