観光の目玉は「ナチス建築」 負の遺産を活用したベルリン廃空港から学ぶ、公園以外の未来とは

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空港跡地の適切な利用方法とは。今回はベルリンを例に考える。

冷戦時「ベルリン大空輸」の舞台

テンペルホーフ空港のメインホール(画像:シカマアキ)
テンペルホーフ空港のメインホール(画像:シカマアキ)

 廃港となった空港は、その後どうなったのか。2008年10月31日に閉鎖したテンペルホーフ空港の跡地を2023年3月、現地取材した。

 テンペルホーフ空港は、1923年に開港した。第2次世界大戦時の1936年から1941年にかけ、アドルフ・ヒトラーが掲げたベルリンの「世界首都ゲルマニア計画」の一環として、巨大な空港ターミナルビルが造営された。

 ナチス建築家で知られるエルンスト・ザーゲビールが手掛け、全長約1.2km、30平方メートルもの面積を誇る。当時、世界最大の建造物だった。

 戦後、同空港を含むエリアはアメリカが統治。冷戦時の1948年から翌年にかけてソ連が「ベルリン封鎖」を行った際、西側の作戦「ベルリン大空輸」の拠点となった。

 その後、旅客機の大型化に伴う滑走路の拡張などに対応できず、多くの発着便はテーゲル空港へ移管され便数が激減。市民からは多くの反対意見があがったものの、廃港となった。

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