大型複合施設が「負の遺産」に 岡山県津山市はなぜ中心市街地の再開発に失敗したのか? コンパクトシティ“先進地”の悲しき末路とは

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岡山県津山市の作陽高校が、生徒の確保が難しいとして4月から倉敷市へ移転した。津山市はかつてコンパクトシティの先進地ともてはやされたが、何があったのだろうか。

地元高校移転の衝撃

津山市内を循環する津山ごんごバス(画像:高田泰)
津山市内を循環する津山ごんごバス(画像:高田泰)

 岡山県津山市の作陽高校が、生徒の確保が難しいとして4月から倉敷市へ移転した。津山市はかつてコンパクトシティ(交通、商業、医療、教育、行政などの機能を都市中心部に集約する概念)の先進地ともてはやされたが、何があったのだろうか。

 吉井川沿いの小高い丘にあるレンガ色の校舎は窓が閉じられ、白いカーテンが引かれている。なかに人の気配は感じられない。岡山県北部の中心都市・津山市の作陽高校。昭和初期の1930(昭和5)年に創設された私立高校だが、4月から県南部の倉敷市に移転し、作陽学園高校の新名称で再スタートを切った。

 作陽高校は難関国立大学に進学する生徒を輩出する一方、スポーツや文化活動で有名だった。プロゴルファーの渋野日向子さんや俳優のオダギリジョーさんらがOBに名を連ねる。学年の定員は240人。最近は定員割れが続いたが、それでも毎年400人を超す生徒が通っていた。移転理由は

「人口減少と少子化で生徒が集まらなくなった」

からだという。

 県北部に位置し、第3の都市である津山市はバブル期に「500mコアの街づくり」を掲げ、空洞化が進む中心市街地の再開発を計画した。その象徴が中心部の新魚町で1999(平成11)年に開業した大型複合施設のアルネ・津山だ。当時、中心部に都市機能を集約するコンパクトシティの先進例ともてはやされたが、期待はやがて失望に変わる。

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