わずか15年で廃線 愛知県「桃花台線」が遺した都市計画という名の“無理難題”、そして落日のニュータウン

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小牧駅から桃花台東駅までを結び、開業からわずか15年で廃止された桃花台線。いったいなぜこのような結果になったのか。

分譲開始後から続いた苦難の日々

現在の桃花台ニュータウン(画像:国土地理院)
現在の桃花台ニュータウン(画像:国土地理院)

 しかし、住宅の人気は決して高くはなかった。分譲が開始された1979(昭和54)年頃には少々話題になったものの、その後は売れ残りが続出した。理由は交通機関が整備されていない

「陸の孤島」

のまま、入居が始まったためだった。

 1980年の入居開始時には既に桃花台線の計画は進んでおり、入居開始とともに代行バスの運行も始まっている。しかし、肝心の桃花台線が、いつ完成するのかめどが立っていなかった。

 それでも1988年頃になると、桃花台線の開通が1991(平成3)年と確定したことから、不人気だった桃花台に人口が増え始めたことを報じる新聞記事が散見されるようになる。こうして、入居開始から遅れること11年、1991年3月に桃花台線は開通した。

 ところが、地域の主要交通機関と期待されていたにも拘わらず、路線需要は予測を大きく下回った。当初の予測では1日の利用者を5400人と見積もっていたのに対して、開業ラッシュが一段落した後は、1日あたり

「2500~2800人」

の利用に留まった。その後、廃止されるまでの15年間、運賃の値下げなどさまざまな対策が採られたものの、一度も利用者が当初の予測に並ぶことはなく、赤字運行は続いた。

 バスよりも利の大きい交通機関が大失敗した理由はなんだったのか。最大の問題は、

「移住者が計画人口を下回った」

ことである。愛知県では開発時点の計画人口は5万4000人と見積もっていた。この計画人口をもとに試算された桃花台線の利用予測は、1日あたり2万人だった。しかし、バブル期に人口が増えたとはいえ計画人口に達しなかった。

 前述の「1日5400人」は、計画人口より移住者が少なかったため改めて示された数字だが、これもかなり甘い見積もりだったのだ。桃花台線の開通も結局、人口増の起爆剤にはならなかった。廃止が浮上した1999年時点でニュータウンの人口は約2万7000人。利用者は、1日あたり2300人程度となっていた。

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