気分はインディ・ジョーンズ? 伝説の富山県「黒部ルート」一般開放は、北陸新幹線敦賀延伸の観光コンテンツになりえるか

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富山県の新たな観光ルート「黒部宇奈月キャニオンルート」の一般開放に向けて、準備が進んでいる。同ルートは、関西電力が所有する発電設備の維持補修専用路線だった「黒部ルート」の一般開放によって生まれるものだ。

作家によって描かれた黒部ルート

吉村昭『高熱隧道』(画像:新潮社)
吉村昭『高熱隧道』(画像:新潮社)

 これまで、乗車体験するには富山県が毎年募集している「黒部ルート見学会」に応募して当選するしかなかった。

 この黒部ルートは日本のインフラ開発史のなかでも、屈指の困難な工事によって生まれた。その過程は、吉村昭のノンフィクション『高熱隧道(ずいどう。トンネルのこと)』に詳しく記されている。

 作品は、当時の「日本電力」が黒部川第三発電所建設のためにトンネルを掘削した工事を描いている。

 なお、この後、黒四ダム建設工事を描いたのが、石原裕次郎主演で映画化された木本正次の小説『黒部の太陽』である。

想像を絶するトンネル工事

水平歩道(画像:黒部・宇奈月温泉観光局)
水平歩道(画像:黒部・宇奈月温泉観光局)

 黒部川上流部の黒部峡谷は、現在でも日本屈指の秘境だ。工事は、その峡谷にわずかな幅の道をうがつことから始まった。この道は「日電歩道」「水平歩道」と呼ばれ、現在も関西電力が維持補修を実施している。

 この道の到達難易度は高い。なぜなら、毎年雪どけとともに補修を行うため、登山客が通行できるのは

「9月下旬から、雪が降り出す10月頃まで」

の1か月程度しかないのだ。場所によっては数十cm幅の道があり、

「けが人はいない(落ちたら死ぬ)」

ことでも知られている。

 そんな道を使って資材を運び始まったトンネル工事は、さらに過酷だった。『高熱隧道』には、その様子が詳しく記されているが、掘り進めるうちに岩盤の温度が100度に達する断層に到達(最高166度まで達した)。夏場でもつかれば凍死するような黒部川の水をくみ上げて作業員に浴びせながら掘削は進んだが、冷水もお湯となり人が倒れていった。そして、地熱によってダイナマイトは自然発火した。

 冬にはこの地方特有の泡雪崩(ほうなだれ。爆風を伴う表層雪崩の一種)によって、鉄筋コンクリートの宿舎が対岸まで吹き飛ばされる事故まで起きている。

 1936(昭和11)年に着工した工事は1940年に完成したが、その間に犠牲者は300人を超えた。電力を確保するという“国策”のもと、

「人命が軽視された時代」

だからこそできた工事といえる。

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