「多摩田園都市」はなぜ多摩ニュータウンに圧勝したのか? 人口60万人規模に大成長、カギは「電車を作って → 人を集めた」だった
多摩ニュータウンと多摩田園都市は一見共通点が多いのに、結果としては明暗が分かれる形となった。今回は多摩田園都市の歴史を振り返る。
次の世代へどう継承?

家賃や地価は多摩田園都市が勝っているが、これは不動産業者にとってはいい話ではあっても、住民にとっては、家賃は安いに越したことはなく、持ち家でも地価が安ければ税金が安く済む。人気になって人口が増えたこと自体が住みにくさを生んでしまうこともあり得るのである。開発が半ばで終わっているのは、言い換えれば再開発余地が大きいということもできる。
街は使い捨てるものではない。多摩ニュータウンも多摩田園都市も、最初の入居者層が引退して高齢者となっており、次の世代にどう街を継承していくかで、あの手この手の施策を試みている。その展開次第では、ふたつの多摩の住宅地の評価もまた変わってくるかもしれない。
その際に大事なことはおそらく、「公共性の再建」ではないかと筆者は考える。電鉄の営利的開発の方が公共的開発より「うまくいった」のは、経済の成長期であったからではないか。しかし経済の縮小期には、営利企業にお任せして街づくりしてもらう形は難しいだろう。
多摩田園都市の「成功」の最大のネガは、公共的な街づくりよりも営利的な開発の方が「うまくいった」ように見えること、それ自体かもしれないのである。
・主要参考文献(本文中に挙げたもの以外)
『東急100年史』(Web版)2022~23年