ロシア人はなぜ「計画性」がないのか? ロシアトヨタ元社長が直面した旧社会主義国家の現実と、それを支えた奥田碩のリーダーシップ

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ロシアトヨタの社長を2004年から2009年まで務めた人物の苦闘の記録。ロシアとは、いったいどのような国家なのか。

新社屋建設にも苦労する日々

サンクトペテルブルクの街並み(画像:写真AC)
サンクトペテルブルクの街並み(画像:写真AC)

 2004年にロシアトヨタは新本社屋を建てることを決めるが、この新社屋建設においても紆余(うよ)曲折があった。

 まず、用地を取得しようとしても、以前はソ連時代の集団農場であるコルホーズの土地で、組合員の中に売却文書に署名を拒否した者がいるなど、いわくつき土地が多かった。ようやく土地と建築許可にめどがついて建設に取り掛かっても、建物に必要な資材や器材はほとんどが輸入品に頼らざるを得ない状態だった。

 外壁パネルから、断熱材、ドア、工具類など、いずれもロシア産では要求に見合う品がなく、生コンや鉄筋など以外はヨーロッパ各国から取り寄せざるを得なかった。

 たとえ、ロシア産のものがあっても認証が取れていなかった。著者はロシア国内での流通に必要な認証のハードルを高くすることで、輸入ビジネスが生む利権を守ろうとしているのではないかとすら思ったという。

 建築現場で働く職人(技能工)はイタリア人やポーランド人が中心で、現場の土木工事は中央アジアやコーカサスからやってきた出稼ぎ労働者だった。ロシア人の役回りは仕事を請け負い、現場の作業は外国人に任せる請負師的なもので、著者はロシアが階層社会であることを実感したという。

 このように苦労の連続であった新社屋の建設も、ついに2008年11月に竣工(しゅんこう)式を迎えるが、そのときロシアはリーマン・ショックから始まる世界経済危機に飲み込まれつつあった。

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