「線路に侵入 → SNS投稿 → 大炎上」はなぜ繰り返されるのか? 発信者と受信者が持つ「現代的欲求」の正体

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線路に侵入した様子をSNSなどネット上にアップし、炎上する事例がたびたび起きる。なぜ、そうした事態が頻発するのだろうか。

格差が人を凶暴に

江の島電鉄(画像:写真AC)
江の島電鉄(画像:写真AC)

 歴史を振り返っても、さまざまな研究を見ても、一般に格差は人を凶暴にする。持たざるものは持つものを批判し、攻撃し、やがて格差を是正しようという力が働く。富や権力を持つ傍若無人な悪役が、最後には貧しい主人公に正義の鉄ついを下されるというストーリーは、世界中の小説やドラマで繰り返し描かれてきたモチーフであるが、こういうストーリーが支持される背景には、「持てる者=リア充」(※実際にそうであるかは別)に対する嫉妬心があるだろう。彼らの悪さを発見して、正義の鉄ついを下す快感は蜜の味なのだ。

 つまりSNSは、発信者の盛りたい欲求を満たして気持ちよくさせている半面、受信者に格差や嫉妬心を感じさせ、地震を起こすプレートのひずみが少しずつたまっていくように、人々の心に攻撃のエネルギーを少しずつためているのかもしれない。

 悪女の電話の相手は友達のマリコだけだったので、これによって満たされる盛りたい欲求も、友達からの嫉妬心も限定的で、考えられる悪影響はせいぜい友達に嫌われることぐらいだろう。一方、SNS全盛の現代では、情報は不特定多数に、そして世界に開かれている。

 このため「いいね」の数も多く、得られる満足感も大きいが、一度炎上が始まると自分に向けられる批判も大きくなる。まして、有名人やインフルエンサーのフォロワーはとても多いので、ポジティブな反応もネガティブな反応もその分増幅されてしまう。

 本人を直接知っている友達であれば、批判も遠慮がちになるかもしれないが、知らない人に対する批判は切れ味が鋭くなる。しかも線路侵入のような分かりやすい法律違反に対する批判は正論である。お門違いの批判や理不尽な批判よりも、正論による批判は反論の余地がない分、言われた側にとってはきついものだ。

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