長宗我部元親はなぜ四国をほぼ統一できたのか? 石高低くも資材輸出、外貨を稼ぎまくった歴史をたどる

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戦国時代、土佐から勢力を伸ばしていった長宗我部元親は、四国全土をほぼ統一したが、土佐は決して恵まれた土地ではなかった。元親の経済力の源泉を見ていく。

森林資源保護にも力

雪蹊寺。長宗我部家の菩提寺(画像:Merkmal編集部)
雪蹊寺。長宗我部家の菩提寺(画像:Merkmal編集部)

 元親が制定した戦国家法「長宗我部元親百箇条」の第76条を読み下して引用すると、「竹木、杉・檜(ヒノキ)・楠(クスノキ)・松その外万木、公儀御用木のため、付け記し置くは是非に及ばず。立て用うべき竹木、我が領知の内にこれ在りと雖(いえど)も、奉行まで申し届けざれば、伐(き)る事堅く停止(ちょうじ)也」とある。つまり、自分の所領内の木も勝手に伐採させなかったことが分かる。

 それに続く第77条で、元親は「筍(タケノコ)」を採ることも禁止している。それに背いた者があれば、1貫文の罰金刑に処すとしている。1貫文は現在の約15万円なので、これはかなりの酷刑である。元親は、それほどまでに、森林資源の保護に力を入れていたのである。

 元親が四国平定を進めていた時代、京都や大坂、さらに堺などの都市部において、城や城下町の「建設ラッシュ」が続いていた。土佐から舟で京・大坂・堺には木材がすぐ運ばれ、高く売れたのである。土佐からの「輸出」には、廻船業者、つまり物流業者が活躍していた。

 もっとも、高く売れるからといってどんどん伐採してしまっては森林が荒れ、森林資源が枯渇することは目に見えている。元親はそのあたりにも目配りをしていた。先に引用した第76条の続きに「在々山々浦々、竹木成り立ち候様に才覚肝要の事」とある。これは「木を伐った後は植林せよ」という意味を含んでいたとも考えられる。

 建設ラッシュという時流に乗って、資材を「輸出」し、「外貨」を稼ぎつつ、しかもその活動が持続可能なものとなるように、山林を保護し、植林を勧める。元親の経済感覚とその実行力は、現代に通じるものがありそうだ。

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