長宗我部元親はなぜ四国をほぼ統一できたのか? 石高低くも資材輸出、外貨を稼ぎまくった歴史をたどる

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戦国時代、土佐から勢力を伸ばしていった長宗我部元親は、四国全土をほぼ統一したが、土佐は決して恵まれた土地ではなかった。元親の経済力の源泉を見ていく。

「御用木」として掌握

木材の搬送イメージ(画像:写真AC)
木材の搬送イメージ(画像:写真AC)

 このように見てくると、長宗我部元親の地盤だった土佐国の国力が豊かだったから四国全土を平定できたのではないかと思われるかもしれない。ところが実際は、土佐のコメの生産高は低かったのである。太閤検地終了時の1598(慶長3)年の「慶長三年検地目録」では、土佐一国でわずかに9万8000石に過ぎない。阿波が18万3500石、伊予が36万6200石、讃岐が12万6200石と、土佐の石高が四国では一番低かったのである。では、そんな弱小国といってよい土佐の長宗我部元親が四国全土の平定をほぼ成し遂げることができたのは、どうしてなのだろうか。

 長宗我部元親の家臣団といえば一領具足が有名である。『土佐物語』では一領具足を次のように説明している。

田に出(い)ずるにも、槍(やり)の柄に草鞋(わらじ)・兵糧を括(くく)り付け、田の畔(あぜ)に立置き、すわといえば、鎌・鍬(くわ)を投捨て走り行き、鎧(よろい)一領にて差替(さしかえ)の領もなく、馬一匹にて乗替もなく、自身走り廻(まわ)りければ、一領具足と名付けたり

 つまり、一頭の馬、一領の具足を持つ兵農未分離の家臣たちであった。年貢免除の特権を与える代わりに、軍役(ぐんやく)を務めさせるわけである。そうなると、長宗我部氏のところに年貢が入ってこないことになる。では、元親はどのようにして軍事費を捻出していたのだろうか。

 田畑を耕作する平地が少ないということは、逆に山地が多いということである。山地が多いということは、森林資源が豊富だということである。もっとも、森林資源に恵まれていても、それを統制しないで放置したままでは、長宗我部氏の財源にならない。元親は森林の樹木を「御用木」として掌握していたのである。

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