誕生が早すぎた? アイディア満載、先進セダン「スバル1000」の閃光記憶
あらゆる意味でエポックメイキング

ちなみにA-5の開発ではドライブシャフト用の等速ジョイントが入手できなかったことからハンドリングに大きな問題を抱えていたものの、1000の開発の前に東洋ベアリングとハーディ・スパイサー社の共同開発による専用を調達できたことで何の問題もなかった。またバネ下重量をセーブするため、フロントブレーキは珍しいインボード・ドラム(ハブ側ではなくデフ側にドラムが付いているタイプ)だったのが特徴である。
スペース効率に優れるFFのメリットを最大限に生かして、1000ccというクラスを上回るパッケージングを目指したスバル1000は、あらゆる意味でエポックメイキングなセダンだった。
フラットな床と低くスッキリしたデザインのインパネ、さらには全面カーブドグラスの採用による室内は解放感にあふれ、特に後席はプロペラシャフト用のトンネルがなかったことから3人が無理無く座ることができた。この明るく広い室内空間の実現には3930mmの全長に対して2400mmと極めて長く設定されたホイールベースも大きく貢献しており、その室内の広さはライバルを大きくしのぎ、1500ccクラスに匹敵していたといっても過言ではない。
スバル1000は1967(昭和42)年2月にやや若いユーザーをターゲットとした2アセダンをラインアップに加え、さらに11月にはツインキャブその他によって最高出力を55hpから67hpにまで高めたスポーツセダンを追加した。このモデルからはフロントブレーキがインボード・ディスクとなっていたのも特徴である。
極めて端正なボディシルエットとユニークかつ合理的なメカニズムを搭載したスバル1000は、一部のマニアックなユーザーからはそのパッケージングに対して高い評価を受けたものの、結局ハデな広告戦略を繰り広げたカローラとサニーという二大ライバルを前にマイナーの域を出ることはなかった。
とはいえ一見アンダーステアが強く、ハンドリングにもクセが目立つFFの正しい走りをマスターした男たちの間では、フロントへの荷重移動を生かしたコーナリングテクニックを駆使することができる個性派のスポーツセダンとして、没個性的なライバルとは一線を画するモデルとして愛された。
特にフロントへ十分な荷重が掛かる下りのワインディングやトラクションがモノをいう雪道などでは、パワーに勝るクルマを尻目に軽快に駆け抜けていったのである。