赤字に悩んだ国鉄、さらなる追い打ちをかけたのは「黄色いもの」だった! 21世紀まで続いた旧式トイレ事情をご存じか

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赤字に悩まされた国鉄は「黄色」いものにも悩まされていた。列車のトイレ問題の歴史を振り返る。

最大の被害者は藤沢市

ガード下のイメージ(画像:写真AC)
ガード下のイメージ(画像:写真AC)

 トイレの垂れ流しが、どんな問題を引き起こすのか。少し時代をさかのぼるが、1960(昭和35)年4月に神奈川県下の東海道線沿線自治体では、「黄害」の解決要望書を東京鉄道管理局に提出している。

 この頃、全国で最も被害を受けていたのは、神奈川県藤沢市である。なぜかといえば、当時東海道線を走っていた多数の特急や急行では、湘南地域にさしかかると、到着案内のアナウンスを流していたからだ。

 横浜へはあと30分、東京までも1時間足らず。かつ近郊区間に入ると、トイレの使用を禁止される。そこで、乗客たちは「今のうちに」とトイレへと立つ。結果、湘南地域、特に藤沢市では、多数の汚水が列車から振りまかれる。中でも朝5時から9時にかけては、東京へ向かう、大和・出雲・彗星・明星・筑紫・銀河・安芸・彗星・月光・はやぶさ・あさかぜと、特急と急行が次々と通過する魔の時間帯だ。

 線路がガードになっている所は、特に危険であった。運悪く列車が通過する時にガード付近を歩いていた通行人は、しぶきを浴びることになる。当然、周囲の排水口は黄色く濁っているし、道路には固形物まで落ちている。踏切では、通行人やクルマが固形物を踏んで進むしかなく、不衛生この上ない。

 当時の藤沢市衛生課の計算では、神奈川県下を一日に通過する東海道線の列車から投下される汚物の量は、44.418kLと試算されていた。こうした、列車が通過すると汚水が特に危険なポイントは、いくつもあった。東海道線では山科から京都の区間。ほかにも名古屋~新守山間、常磐線の上野~松戸間などが、同様の危険地帯だとされていた。

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