人はなぜ「スイッチバック」に魅かれるのか? 鉄道ファン歴40年のライターが考えてみた

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鉄道ファンのこころをくすぐるスイッチバック。旅客列車で体験できるものは全国に少なくとも「13か所」あるとされている。

スイッチバックはいつ生まれたのか

箱根登山鉄道の出山信号場スイッチバックの様子(画像:小田急箱根ホールディングス)
箱根登山鉄道の出山信号場スイッチバックの様子(画像:小田急箱根ホールディングス)

 急斜面を登るためのスイッチバックが日本で最初に建設されたのは、信越本線が建設時のことである。

 新幹線開業時に廃止されたが、信越本線の横川~軽井沢間にある碓氷(うすい)峠は鉄道随一の難所として知られていた。当初はアプト式(複数の歯状レールを設置するなどしてかみ合わせの強度を高めた方式)鉄道が建設され、その後も碓氷峠専用の補助機関車を使って運行がおこなわれていた。その碓氷峠に至るまでも、勾配は激しかった。

 そこで1885(明治18)年、信越本線が開業した際に群馬県松井田町の松井田駅に建設されたのが、日本最初のスイッチバックだった。この松井田駅は、1962(昭和37)年に高崎~横川間が電化された際に現在地に移転。同時にスイッチバックも廃止された(その後、付近に西松井田駅が開業)。国土地理院の航空写真にはスイッチバックが存在した当時の様子を確認できるが、幹線鉄道だけあって長大だった。

 急斜面を越えるスイッチバックは長大なトンネルを建設することなく、峠越えができる合理的な手段だった。しかし、トンネル掘削技術の進歩とともに建設が少なくなった。列車の車両数が折り返し部分の線路の長さによって制限を受けたり、所要時間が増えたりするデメリットがあるからだった。そのため、新線建設などでスイッチバックは減少傾向にある。また、路線廃止とともに消滅する例も多い。

 そんなスイッチバックのなかでも人気があるのが、折り返しの多いものだ。箱根登山鉄道では塔ノ沢~宮ノ下間の三段式スイッチバックなどが、それである。列車は何度も進行方向を変えながら、高度を稼いでいく。

 ちなみに、スイッチバックを存分に味わえるのはいわゆる鉄道路線には含まれない「国土交通省立山砂防工事専用軌道」だ。これは砂防工事のために使われるナローゲージ(線路幅が国際標準軌1435mmよりも狭い鉄道)の工事用軌道だが、スイッチバックは38段あり(以前はもっと多かった)、そのなかには連続18段のスイッチバックも存在する。一般人が乗車する手段は、毎年夏季に立山カルデラ砂防博物館が実施する見学会に応募して、当選した場合のみである。

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