阿佐海岸鉄道DMVは、いつまでも「世界初」を売りにしてはいけない

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本格的な営業運行から12月で1周年を迎えた阿佐海岸鉄道のDMV。地域に役立つ路線として、価値をどのように持たせるかが課題となっている。

阿佐海岸鉄道の苦節時代

阿佐海岸鉄道のウェブサイト(画像:阿佐海岸鉄道)
阿佐海岸鉄道のウェブサイト(画像:阿佐海岸鉄道)

 国鉄が中断した工事を再開し、阿佐海岸鉄道は地元の熱意により第三セクターで開業した。しかし、その経営は最初からどん底だった。なんと初年度から赤字額が

「5200万円」

に達したのだ。

 阿佐海岸鉄道が開業した1992年(平成4)には、国鉄分割民営化後に誕生した第三セクターの路線が既に経営難に陥り、問題となっていた。それにも拘わらず、阿佐海岸鉄道は信じられないほどの甘い見積もりでスタートしていた。

 当初の徳島県の試算によると、

「1日平均1100人」

が利用すれば、開業15年後には単年度収支が黒字になるとされていた。それまでは赤字が続くものの、経営安定化基金の利子と国からの助成金で埋め合わせができると見込んでいたのだ。

 ところが、利子は金利の低下により見込んだほど得られなかった。国の助成金も当初の予定通り、開業5年で打ち切りになった。加えて、過疎化とモータリゼーションの進展によって、地元民ですら鉄道を利用することはなくなった。

 そして、阿佐海岸鉄道は自治体による赤字補填で維持されることになり、さまざまなアイデアで乗客の増加を図っている。1999年には、海部町のショッピングセンターと提携し、地元民を対象にした「お買い物列車」を運行している。これは、まず地域に鉄道に親しんでもらうことを狙って無料乗車券を配布するものだった。

 さらに、休日限定半額切符を販売したり、夏には風鈴列車を走らしたりといった奇策が次々と登場したものの、効果はほとんどなかった。

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