関東大震災100年 「鉄道」が果たした消防・救助活動への大きな役割を知っているか

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関東大震災は被害の甚大さは語り継がれているものの、消防活動と救助活動において、鉄道、ポンプ車などのモビリティが果たした役割は知られてない。

亀戸~稲毛間の鉄道の活躍

現在の亀戸駅(画像:(C)Google)
現在の亀戸駅(画像:(C)Google)

 そうしたなかで、多少なりともこの事態を助けたのが1日の19時ごろに復旧した亀戸~稲毛間の鉄道だった。

・沿線の千葉と津田沼に鉄道連隊が駐屯していたこと
・鉄道関係職員や周辺の消防組の活躍

によって線路が復旧していたのだ。

 これによって負傷者の移送も可能になった。亀戸駅に設けられた救護所はすぐに対応しきれなくなったが、亀戸駅構内には「市川、船橋、津田沼に救療所あり」という掲示が出され、負傷者は鉄道によって千葉方面へと移動した。

 他府県からの救護班の活動にも鉄道は役に立った。千葉医科大の救護班は2日の朝に自動車で出発し、途中の橋が通行不能だった自動車を降りて亀戸までたどり着き救護活動を行った。

 携帯した薬品類などはすぐに使い果たしてしまったが、3日以降は千葉駅からの鉄道の利用が可能になったため、連日20人近い医師と同じ数ほどの医学生が駆けつけ、連日2000人以上の負傷者を治療したという。群馬県からの救護班も川口までは鉄道を利用しており、救護活動において鉄道は大きな役割を果たしている。

さまざまな駅で行われた救護活動

現在の高崎駅(画像:写真AC)
現在の高崎駅(画像:写真AC)

 震災後、多くの被災者が東京を去り、9月20日までに100万人近い人々が東京を離れたといわれている。家を失った人のほか、働く場所がなくなった人々や学生が郷里に引き揚げたためだが、彼らを救援するための活動も行われた。

 埼玉県では駅のある川口や蕨のほか、奥州街道を歩く人々のために草加に救護所が設けられ、県や町の職員、青年団、女子の青年団である処女会、在郷軍人会などの団体が救護活動にあたった。

 東海道方面では鉄道の通じている沼津を目指して箱根の山を越える避難民が見られたが、静岡県は箱根山の中腹の接待茶屋に派出所を置き、救護所を設けるとともに、県の募集に応じた青年団員が神奈川県の箱根町まで入り、荷物を運ぶ手伝いなどをした。

 信越線と上越線の分岐点となる高崎駅にも多くの避難民が殺到した。東海道線が沼津まで不通だったため、西に向かうために信越線を利用する者もいたからだ。

 高崎駅には、2日の17時着の列車ではじめて56人の避難民が到着したが、彼らは下着1枚の姿ではだしであり、持ち物もなかったという。こうした避難民に対して、高崎では市やさまざまな団体が救護活動を行い、治療や炊き出しなどを行った。一方で、朝鮮人来襲のうわさが流れると、列車が着くたびに救護活動とともに朝鮮人の捜索が行われ、殺されてしまった者もいた。

 このような駅での救護活動は青森から鹿児島までの各地で行われ、函館港や那覇港でもこうした活動は行われている。

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