「どうする家康」で注目の静岡市 実は「自転車の街」だった! 背後にあった徳川家の影響、いったいなぜなのか

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新政府に将軍職を追われた徳川慶喜は、静岡で趣味に没頭。多彩な趣味を持ち、自転車に乗ることも趣味のひとつにしていた。

日本の自転車元年は1868年

1889年に開業した静岡駅(画像:写真AC)
1889年に開業した静岡駅(画像:写真AC)

 2023年1月8日に放送が始まったNHK大河ドラマ「どうする家康」は、その名の通り徳川家康(1543~1616年)が主人公だ。家康は幼少期に駿府で人質生活を送った。その後、天下を統一。江戸で幕府を開く。家康は息子・秀忠に将軍職を譲って隠居生活に入るが、その地として選んだのが駿府だった。徳川の世が終わりを告げた明治、駿府は静岡と名を改める。そして、くしくも最後の将軍だった慶喜は、新政府に将軍職を追われて静岡へとやって来る。

 慶喜は静岡で謹慎生活を送ることになるが、その謹慎も解けて自由を満喫できるようになった。慶喜は静岡で趣味に没頭。写真・油絵・囲碁・旅行など、多彩な趣味を持ち、自転車に乗ることも趣味のひとつにしていた。

 日本の自転車史は、東芝創業者となる田中久重が1868(明治元)年に自作したことから始まる。その2年後の1870年には、彫刻職人の竹内寅次郎が東京府(現・東京都)に三輪車の製造・販売業を始めたいと願い出る。この許可申請文において、初めて自転車という言葉が登場した。

 竹内は1878年、4輪の自転車製造・販売についても東京府に許可を申請している。そして1872年に、東京府は自転車1台に対して月6銭7厘の税金を課するようになった。

 自転車の普及は東京が中心だったが、静岡で生活を送っていた慶喜は1877年に初めて輸入品の自転車に乗ったとされる。東京で自転車ブームが起きてから、慶喜はすぐに自転車に興味を持ったようだ。

 以降、たびたび自転車に乗って、サイクリングに出掛けようになった。これが静岡における自転車文化を醸成していく足掛かりとなった。

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