時速200kmで衝突 相手死亡も、真っすぐ走れば「危険運転にあらず」は理不尽だ! 今こそ求められる司法の歩み寄り
時速194kmで一般道を走る車が事故で他人を死亡させても、この国では「まっすぐ走らせている」から「危険運転にはあたらない」とされてきた。しかし、この流れが変わろうとしている。
社会の現状に即した司法を
それでも、今回は「過失運転致死」から「危険運転致死」に訴因が変更された。
実のところ近年、飲酒運転などは
「車を制御できていなかった」
「飲酒をしたことにより危険は予見できた」
として、危険運転致死傷罪への訴因変更が認められたケースがある。過度のスピードに関しても飲酒と同様「制御できていなかった」「危険は予見できた」と判断するのが妥当ではないか。
一般道で時速200km近くも出せば、視野も狭まる上に他の走行車両や信号機、道路周辺の地上物に至るまで停止、あるいは回避できるほどの制御は無理だろう。法の解釈は大事だが「時速194kmにも関わらず走れていたのだから制御できていた、つまり危険な運転ではない」では亀岡の二の舞いである。
今回の訴因変更、これまでの危険運転致死傷罪のあり方に一石を投じることになるだろう。過剰な速度による死亡事故に対し、地裁が地検の危険運転致死の訴因変更を認めたという事実、これまで国民の多くに不信を抱かせた判例の積み重ねがひっくり返るかもしれない。もちろん高裁、あるいは最高裁まで持ち込まれて無罪ともなれば、今後さらに危険運転致死傷罪での起訴を検察が忌避する事態にもなりかねないが――。
時速194kmで一般道を走る車が事故で他人を死亡させても「まっすぐ走らせている」から「危険運転にはあたらない」「危険は予見できなかった」といった、これまで踏襲されてきた判断は見直すべき時ではないか。
・被害者の応報感情
・国民の処罰感情
・国家刑罰権
を分けて考えるべきなのは当然だが、社会の現状に即した司法の歩み寄りも必要だ。