新幹線&リニアの登場で、私たちは幸せになったのか? 高速移動が奪う「情緒的体験」、いま一度再考を

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移動時間の短縮によって私たちはより広い世界を体験できるようになった。しかし、より豊かな経験ができているかというと、そうでもないかもしれない。

得をしたのは誰か?

C62型蒸気機関車(画像:写真AC)
C62型蒸気機関車(画像:写真AC)

 高速化とそれに伴う移動時間の短縮によって、得をしたのは誰なのだろうか。まずは東海道新幹線の利用者の7割を占めるビジネス客について考えてみたい。

 江戸時代、関東から関西に出張を命じられれば、少なくとも1カ月の時間が必要であった。出張を命じた側は、1カ月分の人件費、宿泊費、日当を負担する必要がある。出張先で何日仕事をするかにもよるが、短い出張の場合、費用の大部分は移動で消えてしまう。対する出張を命じられた側は、移動の間は景色や食を楽しみながら歩いていればよい。

 行った先で少しは仕事をするかもしれないが、行程の大部分は移動であり、移動が仕事のようなものだ。もちろん自分の足で歩かなければならないし、今のように快適な旅ではなかったかもしれないが、良くも悪くも今よりもはるかに豊かな体験をしたであろうことは容易に想像がつく。1カ月に及ぶ旅程を振り返れば、大変感慨深いものであっただろう。

 鉄道が開通すると、所要時間は劇的に短縮されるが、在来線時代はまだ「1日がかり」である。往復夜行列車という強行軍も可能だったかもしれないが、通常は2泊3日が最短だったのではないだろうか。この時代の経営者は3日分の人件費や日当、2泊分の宿泊費を払い、出張する人は出張の初日と最終日は移動日で、食堂車で車窓を眺めながらランチなど楽しんでいたかもしれない。江戸時代に比べればわずかな時間だが、宿泊地ではその土地の名物に舌鼓を打ち、夜の街を散策できた。

 新幹線も最初のうちは「半日がかり」だから、大抵は1泊2日である。なんとか名物は食べられるし、まだ食堂車はある。しかし、在来線よりもトンネルや騒音壁が増え、車窓からの景色は前よりも味気ないものに変わっていく。

 東海道新幹線から0系車両が消え「のぞみ」が東京~新大阪を2時間半で結ぶようになると、出張は日帰りが中心になっていく。経営者は宿泊費を払わなくてよくなり、人件費や日当も1日分だけで済む。これに対して出張する人はだんだん余裕がなくなり、食堂車もなくなった新幹線の車内で駅弁を食べるくらいが関の山だ。今はまだ車窓から富士山や浜名湖などの美しい景色が少しは見えているが、リニアになれば、ほとんどトンネルの中を進むことになる。日帰り出張を振り返っても、感慨は特にない。

 高速化が進めば出張コストは劇的に削減できる。江戸時代の関西出張と比べたら、現代は100分の1ぐらいのコストになっているかもしれない。仮に同じ仕事をこなしているなら、生産性は100倍である。経営者にとっては大変ハッピーなことであるが、働く人の給料の相対的価値や生活の豊かさは、当時と比べて100倍にはなっていないようだ。

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