昭和20年代の「動力耕運機」に致命的欠点! 田んぼで使いたいのに「防水」不十分、いったいなぜなのか
日本の農作業を支える動力耕運機。昭和期に国産化が試みられたが、初期の製品は思わぬ欠点を抱えていた。
国産動力耕運機のルーツ的1台
わが国で、農作業のための機械としての動力耕運機が欧米から初めて導入されたのは、昭和初期のことと言われている。
この時代、田畑の耕作といった農作業は人力もしくは牛馬を使った畜力が主であり、機械力は定置型の蒸気機関や内燃機関を数えるだけだった。
それら定置型機関にしても、導入されていたのは耕地面積がそれなりに広く道路環境なども整備されていた地域に限られ、山間部などでの機械化などはほとんど望めなかったことは言うまでもない。
さて、定置型機関から移動式の耕作機械に至るには、いくつかの段階があった。
まず動力源としての大型蒸気機関が導入されたのが明治初期。続いて明治中期以降には、灯油やガスを燃料とした定置型の内燃機関が登場した。
さらに大正時代に入ると、可搬式の汎用内燃機関いわゆる「農発(農用発動機の略)」の輸入が開始され、大正末期には国産化も達成されるようになった。
こうした流れを受けての、比較的移動が容易だった軽便な農発を動力源とした動力耕運機の導入だったわけだが、初期の輸入機械は相応に高価であり、それを望む者全てが購入できるレベルの商品では決してなかった。