「電車でスマホ」が許せない人たちへ 怒るヒマがあったら、まずは相手の「事情」を想像せよ それが大人の振る舞いだ

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電車の中でスマホを手にしゃべっている人を見て、「マナーの悪い人だ」と感じたとき、考えてほしいことがある。

「想像力」と「メタ認知能力」を

茨城県で起きたあおり運転事件の実況見分。2019年8月31日撮影(画像:時事)
茨城県で起きたあおり運転事件の実況見分。2019年8月31日撮影(画像:時事)

 こういった非対称性を解決するには、相手の事情に対する「想像力」を持つことと、自分の状態に対する「メタ認知能力」を持つことが有効だろう。

 他人の事情は「私」には見えないが、「もしかしたらこんな事情があるのかもしれない。自分だったらどうするだろう」と想像してみることはできる。電車の中で通話している人は大切な話をしているかもしれないし、エスカレーターで急いでいる人はすごくトイレに行きたいのかもしれない。エスカレーターで立ち止まっている人や、追い越し車線をゆっくり走っている人にも、それぞれそうせざるを得ない事情があり、それはその人の人格のせいではない。このように考えられれば、私たちはもっと寛容になれるのではないだろうか。

 メタ認知とは、「自分の認知状態を認知」することである。「メタ」とは「1つ上の」という意味の言葉であり、自分の状態を上空から客観的に見るようなイメージである。このメタ認知がしっかりできれば、「私は、他人の事情を想像できずに攻撃的になりかけている」とか、「自分ではこういうつもりだが、他人からはこう見えているかもしれない」と想像できるようになる。そうすれば、自分の攻撃性にブレーキをかけたり、他人を攻撃的にさせる行為を控えたりできるのではないだろうか。

 交通行動は公共空間で行われている。電車や駅が公共空間であることは明らかだが、プライベート空間だと思われがちな自動車も、車の外は道路という公共空間である。いずれも不特定多数が出入りする空間で、みんなそれぞれの事情を抱えながら移動している。お互いの行為は誰にでも見えるが、それぞれが抱える事情は自分にしか分からない。そしてこの非対称性が交通トラブルの原因の一つである。

 もちろんトラブルの原因は他にもあるが、みんなが少しずつ、他人の事情を想像し、自分の状態を客観的に見て、他人の行為に寛容になることができれば、交通社会は今より少し快適で安全になるのではないだろうか。

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