「電車でスマホ」が許せない人たちへ 怒るヒマがあったら、まずは相手の「事情」を想像せよ それが大人の振る舞いだ

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電車の中でスマホを手にしゃべっている人を見て、「マナーの悪い人だ」と感じたとき、考えてほしいことがある。

エスカレーターで起きた暴行事件

エスカレーターでトラブル起きることも(画像:写真AC)
エスカレーターでトラブル起きることも(画像:写真AC)

 今年1月、JR秋葉原駅で、エスカレーターに立ち止まって乗っていた高齢男性に対し、「邪魔だ」などと言って追い越そうとした男が、男性から「エスカレーターは歩くものではない」と言われてトラブルとなり、男性に暴行を加える事件が起きた。

 鉄道各社もエスカレーターで歩かないようにアナウンスしているし、暴行は決して許されることではない。しかし、暴行に発展しないまでも、「歩く派」の人、「立ち止まる派」の人のどちらも、エスカレーターの利用方法に関してモヤモヤを感じたことがあるのではないだろうか。

 右側のベルトにしかつかまることができない、子どもと手をつないでいるなど、何らかの事情を抱えてエスカレーターの右側(大阪近辺では左側)に立っている人もいるが、エスカレーターを駆け上がってくる人に彼らの事情は見えない。そのため、「急いでいる人に道を空けることもしない、気の利かない人だ」と、立ち止まっている理由を、その人の人格に求めてしまう。

 同様に、例えば「次の電車に乗らないと飛行機の搭乗手続きに間に合わない」など、何らかの事情を抱えてエスカレーターを駆け上がっている人を、立ち止まって利用している人が見て、「ぶつかった時の危険も考えない、マナーを守らない人だ」と、駆け上がってくる理由をその人の人格に求めてしまう。

 近年社会問題化している「あおり運転」にも、同様の構造が少なからず影響しているだろう。例えば、制限速度を超えたら会社で罰則がある職業ドライバーにしてみたら、理由があって制限速度ギリギリで走っている。それなのに、あおってくる車がいれば、ドライバーの人格が許せなくなるし、何か事情を抱えて急いでいる人にしてみれば、遅いくせに追い越し車線を走っている車のドライバーの人格を許せなくなる。ここでも、行為に対する捉え方の非対称性が、ドライバーを攻撃的にさせる可能性を高めている。

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