「トラクター = 野暮ったい」からの脱却 美しさと所有の喜びもたらしたデザイナー、レイモンド・ローウィをご存じか

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1930年代後半、トラクターという実用一点張りだった産業機械に対して、美しさと所有する喜びをもたらしたデザイナーがいる。その名はレイモンド・ローウィ。

息の長いヒット作、次々と

ペンシルバニア鉄道GG1型電気機関車。一見武骨でありながらセンターキャビン前後のラインは空力を十分に考慮したものとなっていた。写真の個体はペンシルバニア鉄道博物館で保存されている一両(画像:矢吹明紀)
ペンシルバニア鉄道GG1型電気機関車。一見武骨でありながらセンターキャビン前後のラインは空力を十分に考慮したものとなっていた。写真の個体はペンシルバニア鉄道博物館で保存されている一両(画像:矢吹明紀)

 1893年パリに生まれた彼は、20代後半でアメリカに渡り、インダストリアルデザイナーとしての活動を開始した。ただし、アメリカでの初期活動期にはインダストリアル関係の仕事はほとんどなく、主としてデパートのショーウインドーのデザインなどを手掛けていたといわれている。

 そんなレイモンドに大きな転機が訪れたのは1929年、歴史ある印刷機メーカーだったゲシュテットナーの小型手回し印刷機に、簡易なカバーをデザインしたことだった。この製品は流線形というほどのものではなかった一方、それまでむき出しだったシャフトや歯車をきれいにカバーしていたことから、オシャレなオフィス用品としてヒット作となったのである。

 その後、レイモンドは1936年に自身のデザインコンサルタント会社を設立。自動車メーカーのスチュードベイカーにおいてメーカーロゴデザインなどを手掛ける。さらに彼の力量に注目したペンシルバニア鉄道の依頼を受けて、1930年代半ばから幾つかの機関車に対して流線形デザインを施した。その中で最も高く評価されたのは、当時のアメリカではまだ珍しかった電気機関車のGG1型の空力的な改良であり、ローウィがその流線形ボディーを手直ししたこの機関車の最後の1両が引退したのは、実に1983年のことだった。

 一方、アメリカ初の美しいトラクターでもあったインターナショナル・ファモールHは、その派生型も含めて大ヒット作となり、その基本デザインは1954年まで使用されるという極めて息の長い作品となった。ファモールHとそのファミリーは今でもアメリカのヒストリックトラクターマニアの間では高い人気を誇っており、多くが極めて良いコンディションで保存されている。

日本の「ピース」もデザイン

 なお、レイモンドのデザインコンサルタント会社は、第2次世界大戦後になって、世界的にインダストリアルデザインの重要性、言い換えれば、商品価値はある意味デザインの良しあしによって決まるという消費者行動の確かさが証明されたことで、会社自体が大きく成長する。

 特に、戦前にメーカーロゴをデザインしたスチュードベイカーは彼のデザインを高く評価したことから、1960年代半ばにスチュードベイカーが消滅するまでのほとんどのモデルを、彼と彼のスタッフが担当した。なお、これらのある意味ハードなアイテム以外のレイモンドの著名な作品としては、ラッキーストライクのパッケージデザイン、日本専売公社(現在の日本たばこ産業)の「ピース」のパッケージデザイン、ロゴが白くなってからのコカ・コーラのボトルデザインなどがあった。いずれも1940年代から1950年代にかけての作品でありながら、70年以上の時代を経た現在でもまったく古びていない優れた作品群である。

 レイモンド・ローウィのデザインについては、その作品数が余りにも多いこともあって、わずかな文章量で語ることは極めて困難なのだが、今回はそれらの中で比較的マイナーかつ初期の作品ということで、インターナショナル・ファモールのトラクターをメインに紹介させていただいた。ちなみに彼は、この手の機械としては他に1950年代のカナダのコックシャット・トラクターやアリス・チャルマース・トラクターのデザインも手掛けているのだが、それらはさらにマイナーである。

 ところで、わが日本において有名インダストリアルデザイナーがトラクターのデザインを手掛けたとして初めてニュースになったのは、数年前のことである。こうした事実を鑑みても、レイモンド・ローウィの先進性が、よく分かる。

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