最近の新型バイクから「公道最速」「峠最速」のキャッチコピーが消えた理由
現代、モーターサイクルの価値基準はその速さだけにとどまらない。しかし、かつて「世界最速」を競い合い、性能を進化させてきた華々しい歴史がこの業界にはあった
1955年に記録された「時速297.97km」
1940年代の最速モーターサイクルとしてのハイライトは、1948年のアメリカ・ユタ州ボンネヴィル・ソルトフラッツでのハイスピードトライアルにおいて、ローリー・フリーの駆るワークスチューンのH.R.Dヴィンセント・ブラックシャドウが、150.313mph(241.905km/h)を記録、この時点でアメリカ最速のモーターサイクルとなったことだった。
その後、ブラックシャドウによるアメリカでの最高速度記録は1955年には185.15mph(297.97km/h)にまで更新された。
しかしヴィンセントには未来がなかった。
高性能で魅力的なモーターサイクルではあった一方で、その製造にはコストが掛かっていたことから収益性に問題があり、最終的には1955年に倒産の憂き目を見ることとなるのである。
1950年代の最速モーターサイクルは、1953年のトライアンフ・タイガー110、そして1958年のトライアンフT120ボンネヴィルが制することとなる。それぞれ車名に入っていた数字は最高速度(mph)である。
1960年代もトライアンフに加えてBSA、ヴェロセット、マチレス、AJSといったイギリス生まれのスーパースポーツがスピードという点では市場をリードしていたが、1969年に至ってわが日本のホンダCB750FOURが大きく注目され、ほどなくしてモータースポーツでも活躍することとなる。