自衛隊はなぜ災害派遣を行うのか? 背景にあった「出来損ない軍隊」と呼ばれた過去と巧みなイメージ転換戦略
目的は国民支持の獲得
世間一般では「自衛隊 = 災害派遣」のイメージが定着している。阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)の被災地における自衛隊の活動は、国民の好感を高めた。
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そもそも、なぜ自衛隊は災害派遣をするのか、国際政治学者である筆者(加藤博章)がその背景を紹介する。
自衛隊と災害派遣の関わりは古く、前身の警察予備隊にさかのぼる。警察予備隊が災害派遣(当時は「出行」と呼称)に取り組むようになったのは、自衛隊と災害派遣の関連に詳しい流通科学大学の村上友章によれば、警察予備隊に対する国民の支持を獲得しようと考えたためだった。
国民の支持を獲得する必要性として、
1.隊員の士気向上
2.国民の嫌悪感への配慮
3.治安維持
という3点が挙げられている。
「出来損ないの軍隊」扱いだった前身組織
まず、「1」から説明しよう。当時は警察予備隊に対して、
「出来損ないの軍隊」
などの批判があったため、隊員の士気は低下していた。それに対して、自信を持たせることが重要と考えたようである。
「2」は、当時、先の大戦の終結から5年しか経過しておらず、戦争の記憶が生々しい状況だった。こうした状況のなか、国民は軍隊に対して厳しい目を向けていた。この点を目に見える形で突き付けたのが、営舎確保問題だった。営舎とは、兵隊などが住む兵営の建物だ。
駐屯地誘致を進める首長が軒並み落選したこともあり、警察予備隊に対する国民の反感が再認識される結果となった。これを放置するわけにはいかなかったのである。
国民の嫌悪感を放置すると、任務に影響を及ぼす恐れがあった。警察予備隊の主任務は治安維持である。治安維持のためには、国民の支持が不可欠だった。現在の戦争でもそうだが、ゲリラや反乱勢力と戦うためには現地住民の支持が重要である。支持がないと、人々は逆に敵側に協力することにもなりかねず、厳しい戦いを余儀なくされかねない。
警察予備隊は、朝鮮戦争(1950~1953年)に出動した占領軍の穴埋めとして成立した。しかし、警察予備隊が想定していたのは、上陸する敵を倒すことではなく、
「国内で反乱を起こす勢力」
への対処だった。
当時はまだ国内が安定しておらず、朝鮮戦争に乗じた反乱を危惧する情勢だった。警察予備隊は、国内冷戦に対抗するための組織として誕生したのである。