東急の運転士が「非常用ドアコック」悪用で逮捕 なぜ類似トラブルは繰り返されるのか
ドアコックが登場した理由
2019年には、走行中の山陽新幹線で酒に酔った男が2度にわたってドアコックのふたを開け、列車を緊急停車させたとして逮捕されている。また、新幹線では乗車後に乗り間違いに気づき、ドアコックを使って運行を妨害しただけでなく、転落死したり、大けがをしたりする事件も起きている。そのため、新幹線車両では近年、列車が時速5km以上になるとドアコックをロックする機能を追加している。
こうした不用意な使用が絶えない背景には、ドアコックが安全装置、すなわち、手動で扉が開き、問題なく列車を乗り降りできるという
「素朴な思い込み」
があるようだ。
ドアコックは、1951(昭和26)年4月に神奈川県横浜市で発生した桜木町電車事故を契機として義務化された。車両火災で多くの死傷者が出たこの事故では、ドアコックの表示が行われていなかったことが被害を拡大した原因のひとつとされた。
そのため、この事故以降、座席下のドアコック周りには赤ペンキが塗られ「非常の時にはこのコックを開いて扉を手で開けてください」と表示されるようになった。また、すべての車両に設置が義務化された。
ところが、1962年5月に発生した三河島事故では、脱線した貨物列車に衝突した電車から多数の乗客がドアコックを使って脱出。線路を歩いて避難しようとしていたところに、事故を知らない後続の列車が進入し、大惨事となった。
この事例が示すように、ドアコックは万が一の時に欠かせない安全装置であるものの、決して万全なものではない。これが改めて示されたのは、2021年10月に京王線で発生した、「ジョーカー」(米人気漫画『バットマン』の悪役)の衣装を着た男が車内に放火し、乗客を襲った京王線刺傷事件だった。
この事件では、乗客がドアコックを操作したことで、加速できなくなった車両が国領駅(東京都調布市)の所定位置から2mずれて停車。国領駅にはホームドアが設置されているため、ドアを利用できず、多くの乗客が窓から脱出することになった。線路側にあるホームドアの非常開閉ボタンも使用できなかった。