マツコはなぜ「田園都市線」を忌み嫌うのか? ツイッターでもトレンド入り、その背景を探る

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「私は田園都市線が嫌いです」というタレントのマツコ・デラックスさんの発言が注目を集め。SNS上を賑わせた。この発言に少なからぬ賛意が集まる背景について、同線の成り立ちから探ってみたい。

鉄道会社が造った「人為的」な街

田園都市線のイメージ(画像:写真AC)
田園都市線のイメージ(画像:写真AC)

 それにしても、なぜ今回の発言に少なからぬ賛意が寄せられたのか。

 その背景をひも解くとき、セレブな街が連なる同線が、元をたどれば鉄道会社によって造られた“人為的な街”である、という成り立ちが関係しているのではないかと筆者(昼間たかし、ルポライター)は考える。

 そもそも田園都市線の名称は、東急が1959(昭和34)年以降に進めたエベネザー・ハワード提唱の田園都市構想を用いて建設した「多摩田園都市」に由来するものだ。

 ハワードの提唱した田園都市とは、人口3万人規模の自然と共生した職住近接の都市建設構想であった。

 こうして計画的な都市開発が行われていった田園都市沿線だったが、1990年代に入ると開発が加速し、過剰な人口が集中することになる。とりわけ1990年代に都市化が進んだ地域として挙げられるのが、あざみ野駅のある横浜市青葉区だ。

 もともとこのエリアは文字通り「田園」であり、横浜という港湾部の巨大都市からはるか彼方にある、都市化とは無縁なエリアであった。その名残なのか、都市化が進んだ現在でも「田奈」など当時の趣を感じさせる地名もあるほどだ。

 急速に開発が進んだため、この地域にはいささか乱雑な住宅地が構成されることになった。

 あざみ野や青葉台など南部エリアは、基本的に80坪程度の中規模一戸建てが中心で、その合間合間に団地が立地する構成になっている。一戸建ての住人の多くは、ちょうどバブル期からバブル崩壊直後にこのエリアに「夢のマイホーム」を購入した世代だ。

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