「桃鉄」のルーツは明治時代だった? 近代化が生み出した鉄道と美術の融合、鉄道開業150年で振り返る

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鉄道開業150周年を記念して、鉄道と美術に関連性に迫る。

求められる鉄道の新たな楽しみ方

グーグルマップの3D表示(画像:(C)Google)
グーグルマップの3D表示(画像:(C)Google)

 吉田が鳥瞰図師として名声を得るのは、1913(大正2)年に制作した京阪電鉄の沿線案内図がきっかけだった。皇太子だった後の昭和天皇が、関西各地を巡啓中に吉田の鳥瞰図を手にし、そのクオリティーを称賛する。これが評判を呼ぶことになり、吉田には鉄道各社や地方自治体、新聞社から鳥瞰図の制作依頼が殺到する。売れっ子の鳥瞰図師となった吉田は、江戸期に活躍した浮世絵師・歌川広重になぞらえて大正広重の異名で呼ばれるようになる。

 鉄道各社が鳥瞰図を制作したのは、

・鉄道需要の掘り起こし
・観光客誘致

という目的がある。同じく地方自治体も観光地などを宣伝して、多くの観光客を呼び込もうとする意図があった。

 新聞社が鳥瞰図を制作したのは、明治・大正期に新聞社が各地で博覧会を主催したことに由来している。博覧会は地方にとってビッグイベントで、それは政府が推進する殖産興業にもかなう話だった。新聞社は広報・宣伝の効果を見込むとともに、自社の威信を賭けて豪華な鳥瞰図を制作した。鉄道開業150年を控えて、ここ数年で鉄道関連の書籍類が多く出版されたが、一連の鉄道出版ラッシュで鳥瞰図も話題を集めた。

 近年、スマホでも手軽に地図を見ることが可能になったばかりではなく、グーグルストリートビューでは有名な建物内なども閲覧できるようになった。また、グーグルマップでは鳥瞰図をほうふつとさせる3D機能も搭載されている。吉田の鳥瞰図は、まさにこれらの大正版といえるのかもしれない。

 明治・大正などに考案された鉄道を楽しむための仕掛けは、時代を経て、形を変えながらも私たちの身の回りにあふれている。コロナ禍や人口減少といった負の要因から、今の鉄道業界には猛烈な逆風が吹いている。それでも鉄道を別の角度から捉え、ときにエンタメ化することで新たな鉱脈が発見されることもある。

 新たな鉱脈によって鉄道の新たな楽しみ方が発見され、それが未曾有(みぞう)の危機という局面を切り抜けることを期待したい。

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