「桃鉄」のルーツは明治時代だった? 近代化が生み出した鉄道と美術の融合、鉄道開業150年で振り返る

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鉄道開業150周年を記念して、鉄道と美術に関連性に迫る。

多く描かれた鉄道モチーフの錦絵

アメリカ提督のマシュー・ペリー
アメリカ提督のマシュー・ペリー

 西洋美術を志す画家たちは、少しずつ増えていくことになった。そして、西洋画家は鉄道を題材に多くの作品を描いた。西洋画家たちが鉄道を絵の題材に選んだ理由は定かではないが、当時としては高速で動く鉄道は躍動感にあふれ、しかも

「鉄の塊が動くダイナミズム」

も相まって絵心を動かされたことが推測できる。他方で、西洋美術に反発を示した日本美術を志向する絵師たちも文明の利器である鉄道に対しては大いに興味を示した。

 現在、鉄道博物館のみならず各地の美術館などにも鉄道を描いた錦絵や墨絵が多く所蔵されているが、それらは日本画の技法を習得していた絵師たちが興味を示し、開業前後から積極的に絵の題材として選んでいたことを物語っている。

 例えば、まだ鉄道が開業していない1854年にアメリカ提督のマシュー・ペリーが来日。ペリーは献上品として蒸気機関車の模型を持参したが、この蒸気機関車の模型を走らせる様子が墨絵や錦絵で描かれている。そして、鉄道開業後も鉄道をモチーフにした錦絵や日本画が多く描かれる。

 日本画でも西洋画でも、鉄道をモチーフにした絵画が増えてきたことで鉄道美術は違った形へと発展していく。明治期に東京・日本橋で娯楽用の絵入り本を出版・販売していた長谷川園吉は、生没年不詳とされる人物だが、東海道本線の新橋駅をスタート地点、神戸駅をゴール地点にした「鐵道壽語六(てつどうすごろく)」を制作。

 同作品は鉄道ゲームの元祖といえ、ボード上には各地の名所・旧跡などが描かれて旅行気分を味わえた。これは、現代でいうならテレビやスマホアプリで人気を博すゲーム「桃太郎電鉄シリーズ」の明治版といえるだろう。

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