大阪珍百景 梅田の「ビルをぶち抜く高速道路」はなぜ誕生したのか? 背景にある立体道路制度をひも解く

キーワード :
,
阪神高速11号池田線「梅田出入口」の、大阪空港方面からの流出路が、ビルの地上5~7階部分を貫いている。いったいなぜなのか。

難航した用地買収交渉

トンネルを下から見た光景(画像:(C)Google)
トンネルを下から見た光景(画像:(C)Google)

 1980年代半ば、末澤産業は自社が所有する土地に高層ビルを建設しようとしていた。場所は大阪駅に近い、大阪のキタの中心地、梅田。まさに大阪の一等地と呼べるほど地価が高い場所であり、加えて当時この地区は

「土地の高度利用」

という考え方に基づき高層ビルの建設が奨励されていたため、末澤産業によるこの場所での高層ビル建設は勢いづいていた。

 同じ時期、公団は阪神高速への流入路しか存在していなかった梅田入口に出口を付加し、梅田出入口として運用しようとしていた。当時、阪神高速からキタへアクセスする場合は、現在の梅田出入口よりもひとつ手前の出口を利用して一般道路経由で到達しなければならず、キタでは慢性的な渋滞が発生していた。そして、この渋滞を解消するという使命を帯びた公団が、最終的に選んだのがこの場所だったのだ。

 かくして、公団が末澤産業に用地買収の提案を持ち掛け、両者がそれぞれの思惑を抱えながらこの場所を巡った交渉がスタートした。

 ただ、末澤産業は頑として首を縦に振らなかった。それは、この場所が持つ価値を考えれば当然の意志表示だ。公団としては、公共の利益の名の下、強制的に土地を召し上げる「土地収用」という切り札もあった。だが、この場所が持つ価値と末澤産業の意思を尊重し、その切り札は使わなかったのだ。粘り強く交渉を続け、気づけば数年の月日が流れていた。

 そんなある日、滞った用地買収交渉に一筋の光が差した。それが、1989(平成元)年の法改正で誕生した「立体道路制度」だ。

全てのコメントを見る