昭和に一世風靡 簡単便利な「磁気式プリペイドカード」があっさり衰退したワケ

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1982年、初のテレホンカードが発売された。その後隆盛を極めたが、いまや過去の遺産だ。いったいなぜなのか。

1980年代から始まっていた衰退

JR北海道の竜飛海底駅に設置されていた10円玉専用の公衆電話(画像:岸田法眼)
JR北海道の竜飛海底駅に設置されていた10円玉専用の公衆電話(画像:岸田法眼)

 世紀の大ヒット商品となった磁気式プリペイドカードに陰りが見え始めたのは、元号が昭和から平成に変わった1989(平成元)年5月8日だ。カード式公衆電話内部のマイコンにパソコンをつなぎ、データを読み取ることで、意図的に度数を増やす、使用済みや500円券などに磁気テープを貼りつけて度数を大幅にアップした変造テレホンカードが出現したのだ。

 同日、25歳の男が「50度数のカードだが、2000度数(2万円)使える」と東京都の金券屋に売り込んだところ、店員は警察に通報し、詐欺未遂の現行犯で逮捕。翌5月9日も48歳の男が群馬県で同様の手口を使い、逮捕。2件とも背後には暴力団が介在していた。

 以降、変造テレホンカード事件が横行。検察が変造有価証券交付罪および、変造有価証券交付未遂罪で地方裁判所に起訴しても、テレホンカードは有価証券に「あたる=有罪」「あたらない=無罪」と判決がわかれ、混乱を招いてしまう。当時、変造テレホンカードの密売等に関する処罰規定がなかったのだ。

 なお、地方裁判所で無罪判決後、検察が控訴し、次の高等裁判所では、すべての事件において有罪判決が出された。

 NTTは1992年1月4日から3000円券と5000円券の販売を停止。4月以降、テレホンカード対応の公衆電話を改造し、105度数超の通常テレホンカード、変造テレホンカードとも使えないようにした。それでも0度数から105度数に復元するなどの変造テレホンカードが後を絶たず、2000年まで続いてしまう。

 変造カードは日本中央競馬会のオッズカードも標的にされてしまい、オレンジカードに変造し、きっぷを購入するという事件が相次ぐ。JRグループは1997年3月28日から5000円券と1万円券、JR東日本はイオカード5000円券の販売をそれぞれ停止する事態に追い込まれてしまう。のちに券売機でも5000円券、1万円券の使用ができなくなった。

 磁気式プリペイドカードそのもの必要性が薄らいでゆく。その先駆けであるNTTは1990年代後半から公衆電話を探す必要がない携帯電話が普及。今やメール、インターネット、ワンセグ、撮影などが簡単にできる多機能型が主流だ。

 交通の分野も静岡県磐田郡豊田町(現・磐田市)が1997年10月から日本初の交通系ICカードを町営バスで実用化。当初から繰り返し使えるリサイクルカードとして注目を集めた。

 鉄道ではJR東日本が2001年11月18日からSuicaの使用を開始。当時は定期券+イオカード機能を備え、定期券区間外に乗り越した際は自動改札機で瞬時に精算するSuica定期券、イオカードの進化版といえるSuicaイオカードの2種類を用意した。最大2万円までチャージ(入金)でき、しかも繰り返し利用できる。

 当初は鉄道区間のみの利用可だったが、その後は全国の店舗で物販の支払い、日本の大半の鉄道、一部のバスやタクシー、フェリーで支払い可能に進化。磁気式プリペイドカードに比べ、利便性が大幅に向上した。

 磁気式プリペイドカードはより便利なものに“世代交代”されてしまい、すっかり風前のともしびと化したが、現在もテレホンカードはコンビニエンスストアや金券屋で引き続き販売。ストアードフェアシステムも1日乗車券などで発売されている。“20世紀の産物”は永久に不滅だろう。

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