昭和に一世風靡 簡単便利な「磁気式プリペイドカード」があっさり衰退したワケ

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1982年、初のテレホンカードが発売された。その後隆盛を極めたが、いまや過去の遺産だ。いったいなぜなのか。

ストアードフェアシステムが登場

阪急電鉄のラガールスルー対応用の自動改札機。投入口が右斜めで、取り出し口は従来と同じ水平だった(画像:岸田法眼)
阪急電鉄のラガールスルー対応用の自動改札機。投入口が右斜めで、取り出し口は従来と同じ水平だった(画像:岸田法眼)

 JR東日本は1990(平成2)年4月から、東京からほぼ100km圏内を手始めに自動改札機の導入を進めた。それと並行して、自動改札機に直接投入できる新たな交通系磁気式プリペイドカード、ストアードフェアシステムの開発を進め、1991年3月1日からイオカードの名称で販売を開始。3000円券と5000円券の2種類を用意した。のちに1000円券も加わる。

 イオカードは乗車駅の自動改札機に入場すると、当時の初乗り運賃120円が引かれ、下車駅の自動改札機に出場すると、残りの運賃が引かれるというもの。裏面には乗車日時、時間、駅名、前引き運賃が印字された。残高が110円以下の場合は入場できないほか、下車駅で残高不足の場合は現金精算できるようにした。また、オレンジカードと同様の使い方もできる。ただし、オレンジカードは子ども用のきっぷが買えるのに対し、自動改札機に直接投入できるイオカードは子ども用がない。

 その後、営団地下鉄(現・東京メトロ)が1991年11月29日の南北線駒込~赤羽岩淵間開業と同時にSFメトロカード(「SF」はストアードフェアシステムの略)の販売を開始。当時はほかの路線につながっておらず、同区間専用だったが、1996年3月26日の駒込~四ツ谷間延伸により、全路線ならびに、都営地下鉄全線でも利用できるようになった。

 1992年に入ると、横浜市交通局が3月14日からマリンカードの使用を開始。市営地下鉄、市営バスの両方に使えることから「(地下鉄・バス共通カード)」という副名称を用いた。当時、市営地下鉄の駅ではマリンカード対応の自動改札機、券売機、精算機を青にすることでわかりやすくした(非対応は黄色)。

 一方、運賃前払い式の市営バスでは運賃箱の更新を進め、バス車両に「共通カード取扱車」のステッカーを貼付することでわかりやすくした。のちに他社局の神奈中バス(神奈川中央交通)、川崎市営バス(川崎市交通局)も利用できるようになり、交通系磁気式プリペイドカード共通利用の先駆けとなった。

 程なく、阪急電鉄も4月1日からラガールスルーの使用を開始。関東地方と異なり、裏面に乗車日時、乗車駅、下車駅、残額が印字された。導入に際し、自動改札機が更新され、先述のJR東日本も含め、投入口を右斜めにすることで、入れやすいようにした。

 ストアードフェアシステムが普及したことで、私鉄や地下鉄では大規模な共通利用に向けた動きが広がってゆく。関西では1996年3月20日から阪急電鉄、阪神電気鉄道、大阪市交通局(現・大阪市高速電気軌道)などが「スルッとKANSAI」という名称で使用を開始。関東でも2000年10月14日から営団地下鉄、東武鉄道、ゆりかもめなどが「パスネット」という名称で使用を開始したが、いずれも長く続かなかった。

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