「日本の鉄道」はもはや途上国レベル? 国鉄解体の功罪、鉄路・技術も分断され インフラ輸出の前途も暗い現実
解体で車両「カタログ販売」不可能に
国鉄解体により、日本は世界に向けて、車両のいわゆる「カタログ販売」ができなくなってしまった。仮に国鉄時代であれば、0系新幹線を日本が誇る商品として世界に売り込むことができただろう。
しかし、今、国を挙げてN700系新幹線を売り込もうものなら、大問題になる。JR東海が黙ってはいないだろう。つまり、民営化以降のJR各社の車両は、いわば各社が
「それぞれ版権を持っている」
状態だ。
だから、車両メーカーないし、国は、これをそのまま「良い製品ですよ」と売り込むことができなくなった。事実、1980年代以前の車両輸出では、国鉄車両設計事務所が大きく関わっていた。
この時代には国鉄と車両メーカー、また親方国鉄の下で、車両メーカー同士の横のつながりも強かった。原設計は国鉄型車両となる例が多く、そこから要求仕様、使用環境に合わせカスタマイズされた車両が輸出された。インドネシアには103系と113系を足して2で割ったような電車(VCW800、MCW500)や、キハ40とキハ58を足しで2で割ったような気動車(MCW301、MCW302)が登場した。また、ボリビアやコンゴ民主共和国のEF81のような機関車、スペインのEF66似の機関車はあまりにも有名だ。
このような例は枚挙にいとまがない。ただ、1990年代以降、日本の新製車両輸出は減少した。中国、韓国の台頭で、日本の競争力が相対的に落ちたと言われるが、少なからず国鉄解体も絡んでいると筆者は考えている。
国としての技術が各社に散逸してしまった。そして、車両を製造するだけのメーカー、運営やメンテナンスまでシステム全体をマネジメントするJR各社という分断が発生した。しかも、JR各社ですら、規格やシステムがバラバラになってきている。つまり、日本はナショナルスタンダードを失ってしまったと言える。
海外向けに製造する余力がない日本
しかし、それではマズいということで、2000年代に入り、主に首都圏の車両に用いられる「通勤・近郊型標準仕様ガイドライン」に準じた、「アジア向け都市鉄道標準仕様(STRASYA)」が官民の連携により策定されることになった。要するにメーカー各社で共通のモジュールを持つようになったわけだ。
ただし、同時期に各メーカーは別々のブランド(J-TRECのsustina、川崎車両のefACE等)を持ち始め、これを海外向けでも展開するようになっており、STRASYAの名称を用いたのは日本車両製のジャカルタMRT向け車両のみだ。
その日本車両も、2021年からは自社ブランドとしてN-QUALISの名称を採用しているため、STRASYAの名称は自然消滅していくだろう。そもそも、STRASYA自体、その名が示す通り、冷房能力の強化や、メンテナンスが容易な機器構成といった東南アジア向けを前提とした特徴がある一方で、「狭軌・架空線方式・軽量ステンレス・車体長20m」という程度の漠然としたモジュールにすぎない。まさに、
「総論賛成、各論反対」
と言ったところだ。
これは他のブランドにも言えることで、例えば、「sustinaと言えばコレ」といったものではない。静岡鉄道のA3000形も、相鉄12000系も、京急新1000形1890番台もsustinaだ。ブランド名が付いたのは一歩前進かもしれないが、カタログ販売、つまりメニューブックに載っている商品を選び、ひとつのモジュールをカスタマイズしていくという世界の潮流(シーメンスのモジュラーメトロなどが代表例)からは外れていることに変わりはない。
メニューに「国産黒毛和牛」とだけ書かれていても、お客は困ってしまう。要するに、日本が具体的に何を売りたいのかが見えてないという不満が生まれる。そして、ゼロから調理するので納期が長い。さらに、通勤型電車以外の車種、気動車や機関車となれば日本国内ですら需要がないなかで、ほとんど競争力がない、いや海外向けに製造する余力、技術がないと言った方が良いかもしれない。