東京駅のような駅舎の「復原」が近年、一筋縄では行かなくなったワケ

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歴史遺産などを、残された資料や図面から再現することを「復原」という。近年、その復原が低調だ。いったいなぜなのか。

復元と表現する傾向が強い「私鉄」

復原された門司港駅。東京駅の赤レンガ駅舎・旧大社駅(島根県出雲市)と並び、駅舎は重要文化財に指定されている(画像:小川裕夫)
復原された門司港駅。東京駅の赤レンガ駅舎・旧大社駅(島根県出雲市)と並び、駅舎は重要文化財に指定されている(画像:小川裕夫)

 鉄道は明治期に入ってから建設されているので、駅舎の資料や図面は残されていることが多い。例外もあるとはいえ、駅舎に関してはほぼ復原と表現して差し支えない。それでも、まだ復原が一般的に認識されているとは言い難い。

 また、事業者によっても復元と復原の使い分けに好みも見られる。例えば、JRの駅舎は復原を使用する傾向が強い。東京駅赤レンガ駅舎のほか、2020年に駅前広場に移築保存された旧国立駅舎(東京都国立市)は復原が使われている。戦前期に中国・朝鮮半島に近いことから重要な都市と目されていた門司の玄関駅・門司港駅(福岡県北九州市)も復原を用いている。

 その一方、私鉄は復元と表現する傾向が強い。東急電鉄の田園調布駅や東武鉄道の浅草駅などは復元としている。

 文化財や歴史学の研究者・学者の間で、復元と復原を使い分けるような機運が生まれるのは平成期に入ったあたりからだ。歳月が短いこともあり、“復原”という言葉は広く世間に知れ渡っているとは言い難い。

 東京駅の赤レンガ駅舎が、資料や図面をもとに復原されたのは2012(平成24)年。つまり、今年は赤レンガ駅舎の復原から10年の節目にあたる。

 八角形の屋根をドーム型屋根へと復原することは、技術的にも資金的にも容易ではなかった。復原のための費用は、東京駅の空中権を販売することで500億円を調達。本来、東京駅の周辺は容積率の観点から高層化することは可能だが、JR東日本は慣れ親しんだ赤レンガ駅舎を残すために高層化をしないという判断を下した。

 その場合、駅舎の上空には何も構造物がない状態になる。この余った容積率を周辺のビルに移転することが法的に可能だったため、その権利を空中権と呼んでいる。こうして空中権の販売で調達された500億円が、赤レンガ駅舎の改修やドーム型屋根へと変更するための費用に投じられた。

 しかし、大正期に完成した東京駅の赤レンガ駅舎は現代の法律に適合しない部分が多々ある。特に建築基準法や消防法は地震や火事、豪雨といった大規模災害を想定して時代とともに基準を厳しくしている。それは、大正期と比べものにならない。

 また、当時と同じ建材が手に入らないケースもある。大正時代にはバリアフリーの概念さえなかったが、現代はバリアフリーが当たり前。復原といえども、わざわざスロープや手すりを昔の状態へ戻すわけにはいかない。それは設備面でも同じことが言える。大正時代には存在しなかったエアコンや自動改札を取っ払うことはできない。

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